いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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結城内訌

結城内訌

 このころ総州結城藩主水野日向守の家老小幡兵馬等輿党六十人と共に西軍に内応し、日向守の弟禊之助を擁立して、その主日向守を追う、これにおいて日向守は江戸に至り藩臣四十人および彰義隊六十人を率いて帰り来り、入城せんとしたるも兵馬等拒んで容れず、三月十七日会津藩士田中左内、井深恒五郎兵を率いて古河に至り居ること数日、二十二日小山に赴き彰義隊に合し結城城を屠らんと欲す、二十四日進軍し黎明結城を襲い、我が兵三十人城の側面より進入し、兵馬等のため拘束せられたる老幼男女六十人を救い出し、火を城内に放ち兵馬を斬り余党数人を斃す、城いまだ陥らず日暮れ小山に帰陣す、この夜西兵および小幡の残党火を放ち江戸に向かって遁走せり、二十五日我が軍入城し水野老侯は藩士邸の焼け残りたるに宿陣す、しかるに小銃乏しきにより宮原尚記外一名を真岡の陣屋に遣わし、代官(旧幕府の代官)山内源七郎に交渉し、ミニュー、ゲベル取り交ぜ三百挺を借ることを得たり、後に至り源七郎が西軍に殺害せられたる理由の一はこの事なりしならん、かく兵器弾薬を準備したるが、四月四日彰義隊城を出でゝ江戸に赴き、ついで五日早朝日向守もまた江戸に遁がる、すでにして西軍の参謀祖式金八郎、香川敬三等大兵を率いて来り攻め衆寡敵せず、我が軍城を棄てゝ走り、七日今市に至る。





卷四 総野の戦  会津戊辰戦史1
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2012/12/21(金) 15:51:04|
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