いがぐり史料館

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山川大蔵兵を彊内に収む

山川大蔵兵を彊内に収む

 七月二十七日我が藩士石澤源四郎若松より藤原に来り、山川大蔵に面し我が公の命を伝えていわく、今や新発田藩反盟して敵をその城下に導き、米澤藩は兵を国境に退け、二本松また旦夕に迫り、我が兵勢日に迫る、宜しく速やかに兵を境内に収めて関門を扼し、以て緩急に応ずるの策を講ずべしと、これにおいて山川は藤原の営を徹し五十里駅に駐屯す(以上大鳥圭介伝、水島純筆記、小川伝吾筆記、工藤衛守筆記、原田主馬記、七年史)。
 初め山川大蔵の野州に入り東軍の副総督となるや、大に旧幕軍将校の人望を得たり、すでにして奥羽同盟の成るや、客寓の板倉、小笠原二侯および沼間、土方等は大蔵の材略大に倚頼すべきを知り、相議して輪王寺宮を盟主に推し、大蔵をもってその参謀となし、列藩の兵を指揮し、西軍の未だ集まらざるに乗じ薩長と雄藩を白河の野に決するの策を我が公に獻じたるも、議杆格して行われず識者深くこれを惜しみたりと云う(三島毅撰山川男伝、水島純筆記)。

{子爵谷干城は戊辰の役土州軍の武将として野州に出陣し、山川大蔵と戦場に角遂してその将材を識る、維新の後干城は大蔵を軍職に推薦する所あり、しかして大蔵の死後その和歌を集めたる櫻山集を出版するに当り、干城は同書編纂者の求めに応じその序文を書せり、これを読めば当時敵将たりし干城の公評は独り大蔵の人となりを写すのみならず、また忠誠公(容保公の諡)の王事に尽くされし一斑および闔藩が薩長に対抗せし真情を明かせしものと言うべし、よりて左にこれを掲ぐ。

 桜山集序
会津侯、徳川氏之懿親、而関東之巨鎮也、夙奉京師守護之命、啓蒙先帝之渥恩、当激徒紛擾之際、毅然不動
、能鎮御京師、其功偉矣、一朝際変故、其忠変為不忠、猶如元治之於毛利氏、此豈其真情哉、武夫之道実不得止也、山川浩君、会津之俊傑、為本朝夫之龜鏡、弱冠遊歐洲、帰則遭遇騒乱、尽智悉力、歴戦数十回、葢謂薩長籍口尊王、以行其私也、故眼中唯見薩長之兵、未甞見王師也、既而得米澤藩主之報、始知為真王師、投戈開城而帰順、其心事誠可哀、君周旋其間、助其主致誠於朝廷、至忠大節、人皆知之矣、明治維新、余承乏於軍務、聞君名久、五年始相見於江戸、一見如旧、共歴官陸軍裁判所及熊本鎮台、交情益厚矣、丁丑之役、君並孤軍衝〇背、尤救孤城、其功又偉、而其賞不足酬其功、官亦不称其徳、然君坦懐怡然、忘毀誉栄辱、後為貴族院議院、侃侃諤諤、僅伸其万一、古人有言曰、失勢則龍蛇為蚯蚓所笑、得時則輿〇封侯、誠然、今也学術技能之人如雲、而武夫節操如君者果幾人、噫君逝矣、未幾士風益頽、只利是謀、武臣而若盗賊者有焉、文臣而如博徒者有焉、夜半端坐、追懐君之操行、不覚慨然涙下也、君性嗜和歌、乗輿觸感言其志、頗有源奥州、平薩州之遺韻云、頃日高木盛之輔、寄其歌集、屬序余、余固非知和歌者、雖然知君之為人、則不譲他人、故不辞序之、于時明治三十五年四月、隅山居士谷干城撰。}






卷四 総野の戦  会津戊辰戦史1
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  1. 2013/01/17(木) 17:09:28|
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