いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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仙台兵を国境に進む

仙台兵を国境に進む

 十八日仙台藩瀬上主膳をして兵を会津の国境に進めしむ、我が藩士湯峠の将朱雀一番寄合組中隊頭一柳四郎左衛門これを聞き、半隊頭二木理助、軍事方野村三郎をして土湯に行きて彼の動静を探らしむ、土湯の人民密かに来り告げていわく、今夕仙台藩穴澤輿三郎農兵を率いてこの地に来り、参謀世良修蔵等もまた二本松より来るべけなれば貴軍直ちにこの地を撤去せられては如何と、二木はこれを聞き横向きに帰りてこれを報じ、監三郎は土湯を距る二十余町の路傍に潜匿してその動静を伺うに、翌十九日昧爽仙台兵果たして弓矢銃槍長刀を執り列を成して陸続来る、監三郎潜地に出つ、兵士数人来りて姓名を問う、監三郎答えていわく、余は会津藩の軍事方野村監三郎なり、足下は何番なりや、彼らいわく、仙台の軍監大規定之進、姉歯武之進、内田喜三郎なりと、監三郎は印鑑を出して示す、大規等は監三郎を伴いて土湯村に至り深室に誘う、隊長瀬上主膳左右を退けていわく、薩長参謀等我が藩の進撃を促すこと急なり、よりてここに来り陣す、貴藩国境の守備全きや否や、監三郎いわく全し、足下等兵をもって我が国境に進まば我もまた兵をもって応へざるべからず、ために両藩の情好を害するも武門の大義を如何せんと、主膳いわく実に高説のごとし、しかも止むことを得ざるなりと相別る、少時くありて四郎左衛門の遣い来りて監三郎の帰るを促す、途上再び主膳に逢う、主膳は監三郎を樹蔭に招き、声を低うして告げていわく、大規の兵この峠を攻撃せん、薩長筑の兵もまたこれに加わらんも知るべからず、弊藩来り貴藩に対して旧怨あるにあらず、徒に兵士をして死傷せしむるに忍びず、接戦の際は弊藩の振旗は白地に小の字を書せん、足下請う予めこれを記せよと、監三郎帰りてこれを四郎左衛門に告ぐ、仙台藩内田喜三郎もまた密かに我が陣営に来りていわく、今日先鋒をして開戦せしめ少時にして退くべしと、然れども彼ついに開戦せずして兵を収む。
 四月二十日辰の上刻仙台藩の軍監姉歯武之進来りて一柳四郎左衛門を見ていわく、寡君素より貴藩の恭順なるを知る、故に救解に力を尽くさんとするの意切なりといえども、ついに貴藩の国境に迫らぞるを得ざるに至れり、貴藩なお恭順の意を表し、我が兵を横向に入るを許せと、四郎左衛門答えていわく、我が藩固より恭順、唯国境の防備は万一に応ずるに過ぎず、しかして出入を禁ずる所以の者は、不平の途誤って恭順を破らんことを恐るゝに由るなり、軍装の兵士を入るゝことは貴諭に従う能はず、寡君の命に背けばなり、幸にこれを諒せよと、武之進いわく、しからば兵をもって見ざるを得ず、よって小峠より空砲を発すべければ、貴藩にてもその意を了して応戦せよ、機会を計りて休戦を令すべしと、応接すこぶる懇篤なり、内約成りて帰る、少時にして小峠に仙台の兵来るの報あり、四郎左衛門令していわく、螺一声を聞かば散兵発砲すべし、螺声頻繁ならば猛撃すべし、螺声緩ならば発砲を止めよと、仙台兵小峠に登りて大小砲を発射す、これにおいて四郎左衛門自ら螺貝を執って吹くこと約のごとし、戦を交ふるに及んで彼の大砲実包を発射す、ゆえに我もまた実包をもってこれに応ず、数刻にして彼の砲声ようやく緩なるをもって兵を収む、一人の死傷なし、午の上刻陣営に帰る。
 仙台藩横田官平は我が藩救護のため来りて若松に在りしが、戦報を聞きその周旋の空しからんことを恐れ、横向の我が本営に馳せ至り、四郎左衛門に会談すること数刻にして土湯に赴き、主膳に面してまた若松に帰れり、仙台の将大松沢帰部之輔は兵を桑折に出し遅滞して進まざれば、主膳は自ら兵を進めてこの処置に出でしなりと云う、沼尻口すなわち嶽湯口へ仙台兵二小隊、二本松兵二小隊、筑前兵二小隊、並びに長州兵若干攻め来りしが、我が防備の厳なるを見て一弾を発せず退却せり。
 これより先四月九日我が藩南摩綱紀、佐久間平介は喜徳公の密命を帯びて荘内に赴き、援を請はんとして行地駅(新潟県蒲原郡新発田町へ通ずる街道の一地名にて、新発田領に接するや会津領の界に近し)に至る、駅亭主人いわく、過刻荘内の使節大野輿一左衛門若松に赴かんとしてこの地を過ぎたりと、綱紀すなわち諏訪峠を越えて津川に戻り、大野に面して荘内の事情を問い、直ちに荘内に赴かんとするを告ぐ、大野いわく、寡君深意ありて不日に専使を発せん、余は今日貴藩に対し弊藩の敬意を表するの命を受けて来れりと、綱紀別れて荘内に赴く、至れば平介すでに荘内の藩相石原平右衛門、松平権十郎等と会議し、会荘同盟し存亡を共にするの予約成る、十日綱紀、平介、平右衛門の宅に至る、権十郎および側用人山口三郎兵衛、菅秀三郎、国事掛和田助弥、本田安之助等先づ在り、これにおいていよいよ同盟の約を結ぶ、権十郎いわく、会荘一致し然る後米沢を説き、米沢同盟せば仙台は直ちに同盟せん、会津、荘内、仙台、米沢同盟せば奥羽列藩の同盟成らん、しかる後兵を進めて江戸城をもって本営となし、檄を天下に伝へば、兇徒を攘ひ君側を清め、手に唾して事なるべし、これ寡君江戸に在る時よりの持論なり、ゆえに密使を遣わして貴藩に謀らしめんとすでに管秀三郎、本多安之助等に命ず、本多たまたま病に臥して発すること能はず遷延今日に及べり、今卿等来りてこの約成る何の幸かこれに若かんやと、藩主酒井忠篤朝臣、綱紀、平介を城内に召し見て物を賜う。






卷五 東方の戦上  会津戊辰戦史1
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  1. 2013/01/19(土) 10:41:17|
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