いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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上杉齊憲朝臣会津を救はんとす

上杉齊憲朝臣会津を救はんとす

 佐久間平介は荘内の戸田文之助と共に米沢藩に赴き同盟を謀る、藩主上杉齊憲朝臣思えらく国家多難の秋に当り外侮を忘れ内相鬩ぐは策の得たるものにあらず、今や容保は謹慎恭順し、家臣来りて寛典の処置を周旋せんことを請う、会津は隣国にして会津家は我が家の姻戚なり(上杉景勝の孫侍従兼播磨守綱勝の室は、土津公の長女媛姫なるをもって姻戚なりと云う)、いわんや容保の祖先保科正之は昔我が社稷のために力を尽くしその恩を受くるや大なり(徳川幕府の初期において、諸侯その封邑を収公せらるゝもの多く、ために夥多の浪人すなわち今の所言う失業者を生じ、幕府の為政者に対しその処分に苦戦せしが、土津公深くこれを憂へ、諸侯を廃絶するは幕府の初期においてこそ必要あれ、今においては成るべく廃絶を少なくするの方針を取ることを適当と考えられき、寛文四年上杉綱勝二十七歳にて卒去し、嗣子なきをもって封邑を収公せらるべき慣例なれど、同姓吉良上野介義英が嫡子を世継として、所領を半減して十五万石を輿へられき、是偏に土津公の斡旋によれりと云う、けだし公の尽力は単に上杉が家に対するためにあらず、天下後世の為に深く謀られたるものにして、幕府の諸侯に対する方針これより一変せりと云う、この土津公の斡旋に対し、米沢人士深く感銘して戊辰の時に至れり)、今その窮状を坐視するに忍びず、王者の師は降るを赦し拒むを伐つ、恭順して罪を謝するに豈に赦さゞるの理あらんやと、これにおいて伊達慶邦朝臣と謀り、同臣尽力して会津の宗社を存し生民の塗炭を救はんと決心せり。





卷五 東方の戦上  会津戊辰戦史1
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/01/20(日) 13:58:57|
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