いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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仙台米沢二藩の周旋

仙台米沢二藩の周旋

 南摩綱紀、荘内藩士管秀三郎、本多安之助と共に四月二十六日会津に帰る、容保公、喜徳公、管、本多等を召し見て懇ろに慰労す、藩相内藤介右衛門、諏訪伊助、一瀬要人等と謀り、一両人を選び彼我互に留寓し密議に参することを約す、荘内より物頭戸田文之助、軍事掛吉野遊平若松に来り寓し、我よりは佐久間平介鶴岡に赴く、後平介事故あり上島良蔵これに代わる、時に仙台の使節玉蟲左太夫、若生文十郎、米沢の使節木滑要人、片山仁一郎、および二本松の使節丹羽新十郎、瀬尾九衛門兵衛等会津に来り交々我が藩相に説いていわく、頃日九条総督より会津追討の勅命を伝へらる、よりて止むことを得ず兵を進むるに至れり、しかれども貴藩多年京師に在りて公武の一和を図り、主従努力して国家のために尽くせり、その誠忠は我が輩常に感歎する所なり、豈に料らんや今日この危難の知に立たんとは、真に傍観するに忍びず、よりてここに慰問す、ただし願わくば自今恭順謹慎してもって誠意を達せられんことを、その情状に従いあるいは貴藩のために一臂の力を尽くさんと、我が藩相その厚意を謝し、且つ答えていわく、弊藩討伐の災いを招く恐悚の至りに堪えず、寡君すでに退隠屏居して恭順の実を表し、且つ謝罪の表を輪王寺宮および二十二藩に托し天朝に達せんことを懇請せしも、いまだ何らの恩命に接せず、弊藩の示す所は終始恭順にあり、貴藩もし事変の顛末を諒察し、あえて援護せらるれば何の幸かこれに如かんと、玉蟲、木滑ら各その藩に帰りしが、幾何もなく以上仙米の使節四人また来り、且つ仙台の横田官平を伴い来る、その言にいわく、宜しく恭順謝罪の表を出すべし、両藩必ずこれを進達せん、万一採納せられざらんか両藩固より決する所あり、あえて貴藩の不利を計るものにあらずと、喜徳公召し見てその厚意を謝す、後数日梶原平馬、伊東左太夫、手代木直右衛門は米沢に使し、過日の厚意を謝し相共に胸襟を開いて協議せり。
 四月二十六日一関藩主田村右京太夫手兵若干を率いて白石に至る、米沢藩木滑要人、片山仁一郎は藩主齋憲朝臣の命を帯びて白石に来り、但木土佐、石田正親を見ていわく、会津侯家臣を遺し貴藩と弊藩とにより恭順謝罪せんことを請う、しばらくその使節を米沢に留め来りて協議すと、慶邦朝臣これを総督に告げ、明日両藩相仙米の国境関宿において我が使臣を訊問せんとす、その総督府に報するの書左のごとし。

会津容保為謝罪歎願家来共別紙名元書立之通罷越候由米沢より申入候に付陣門へ相通し承り申候間先以此段御届申上候以上
 四月二十六日
仙台中将内 但木土佐
米沢中将内 木滑要人
 
 別紙
会津容保使者
 梶原平馬
 伊東左太夫
 河原善左衛門
 土屋宗太郎
 山田貞助


 四月二十九日仙台藩相坂英力、但木土佐、真田喜平太、米沢藩相木滑要人、片山仁一郎関宿において我が藩の使節家老梶原平馬等に会見す、土佐いわく、貴藩の所言謝罪歎願は藩公の城外屛居と謀主の首級を出すとに在るか、平馬いわく、寡君の城外に謹慎するは当然の事なりといえども、謀主の首級を出すは甚だ難しいとする所なり、何となれば謀主たりし者はおおむね伏見に戦没し、存する者は僅に一両輩に過ぎず、しかしてこれらは皆精忠の輩なり、もしこれを斬らば国中動揺を生ぜんも知るべからず、且つ夫れ伏見の戦は前将軍すでに罪を一身に負い、謝罪歎願して朝廷これを納る、弊藩のごときはその罪すでに消滅せり、何ぞ征討せらるゝの理あらんや、故に謀主の首級を出すは甚だ難しと、土佐いわく、このごとくなれば総督府に進達すること能はず、仮令進達するも総督府はこれを納れざるべし、貴藩これに処するの決心如何、平馬いわく、闔藩死をもって守らんのみ、土佐いわく、闔藩死を決して守ると、僅に一両輩の首級を以て国命に換ふると利害果たして如何ぞや、真田喜平太いわく、もし藩主の首級を出すを欲せずんば速やかに帰り軍備を収めよ、吾ら諸君と旗鼓の間に相見えん、前将軍罪を一身に負えば貴藩公罪なしとは余が解せざる所なり、臣子の罪はすなわち君父の過なり、ゆえに貴藩にして君臣の義を正さば、伏見の一挙は前将軍の過にあらずして貴藩公の罪なりと訴ひ、また足下等にありては貴藩公の過にあらずして足下等の罪なりと訴ふるを至当とすと、平馬黙考しばらくにしていわく、誠に貴諭のごとし、しかれども謀主の首級を出すも私怨を晴らすに急なる薩長の参謀はこれを拒まざるか、喜平太いわく、誠意より発せずんばこれを拒むべし、真に恭順歎願せば何ぞ納れざるの理あらんや某等これを保証せんと、喜平太のこの語を発せし所以のものは、先に副総督澤三位、会津降らば征討を要せずと云い、世良もまた早く降らば事すなわち終わらんと云いしをもってなり、すなわち平馬馳せて若松に帰る。
 閏四月朔日これより先き醍醐少将、世良修蔵本宮の本営に在り、世良修蔵仙台藩に明日拂暁、石筵、中山、御霊櫃の各方面に進軍すべきを命ず。
 閏四月二日仙台藩の将伊達安芸、陣代亘理此面此の方面に在り、諸将と議して白石本営の令を待って後に軍を進めんことを請う、世良いわく、醍醐少将ここに出でゝ号令す、何の躊躇することあらんと怒罵して止まず、督促再三におよぶ、すなわち此面は断然軍を進む、我が朱雀一番士中組中隊頭小森一貫齋隊兵を率いて楊枝村に在り、仙台、二本松、薩州、土州の兵来襲の報あり、すなわち急使を馳せて壺下口の守将青龍一番寄合組中隊頭木村兵庫、義集大隊頭辰野源三左衛門に報ず、両将各一小隊を率いて中山峠に至りて遙かに東望すれば西兵(仙台)陸続として来り、巳の刻ころ戦を開く、我が兵渓間樹林の間に潜匿し、彼の近づくを待ち銃を連ねてこれを撃つ、西兵もまたしばらく応戦してついに退く。
 これより先仙台の将伊達筑前は六小隊を率いて瀬上(今の瀬上町、福島の北方一里半にあり)、諸将と議し只野嘉吉郎、太田兵弥を使節として中山口楊枝関門に至り、我が将木村兵庫に言はしめていわく、今回伊達中将会津征討の命を奉じ、すでに出で白石城に在り、先鋒伊達筑前進みて貴藩の国境に臨めり、速やかに若松城を開き貴藩公父子は白石城に謝罪歎願し、且つ伏見の首謀を誅して信を表するの意なきやと、兵庫答えていわく、寡君および老寡君に告ぐるに貴意をもってすべし、ただし今貴藩若生文十郎若松に在りて周旋中なればこれを領せよと、嘉吉郎ら文十郎の使命および周旋の事情を報ぜんことを要求してこれを待つ、我が藩武井柯亭、池上輿兵衛、黒河内友次郎等数人若松より来りて嘉吉郎等を見ていわく、弊藩貴藩によって家名を存せん事を願うのみ、豈に他あらんやと、嘉吉郎等帰りてこれを筑前に報ず、閏四月二日白石の本営より伊達筑前に命あり、会津容保謝罪歎願す、よって進軍を止むべしと、しかるに同日本営における世良参謀至急御霊櫃口より進軍すべきを命ず、仙台の軍そのいずれに従わんかに就きて議論沸騰せしも、ついに世良修蔵の命によりて進撃に決し、兵を分ちて三方より進む、御霊櫃峠は青龍一番足軽組中隊頭杉田兵庫(鈴木一郎右衛門の後任者なり)隊兵と地方郷士三十五人を率いてこれを守れる。
 閏四月三日我が兵西兵(仙台の兵)の襲撃せんとするを知り嶺上の砦壁に登る、朝霧冥濛として展望を妨げ只弾丸の砦壁を踰ゆるあるのみ、我が兵まさに発砲して戦を挑まんとす、青龍一番足軽組小隊頭荒川銓太郎令して戦機の熟するを待たしむ、しばらくして霧晴れ西兵の所在を知る、銓太郎すなわち軍扇を揚げて令を下し連りに大小砲を放ちて攻撃す、西兵支えず山間の細径より敗走せしが、忽然左側の山上袴腰の絶険より臼砲をもって我が兵を撃つ、弾丸我が兵の頭上を破裂す、我が兵またこれに応戦す、この時館、横澤に在りし遊撃隊頭遠山伊右衛門砲声を聞き浜路より山腰を廻り一小隊を馳せてこれを援く、西兵は山上よりこれを望見して退く、けだし西兵は我を誘いしかしてその背後を嶺上より砲撃せんとせしなり、銓太郎の号令よろしきを得てその陥る所とならざりき。
 閏四月四日石筵口また戦を交ゆ、勝軍山は地勢緩く広漠たる山野にして樹木甚だ疎なり、二十余丁の間往来の人影を認むべく、しかして定路なく、樵径は縦横に通じて敵兵を一路に約すべき要害の地にあらず、ゆえに砦を数所に築きて厳守し、砦下萩岡に柵を設け戍兵を置く、小隊頭三宅忠三郎、水野又四郎、河村源太郎等十余人これを守る、監察野村悌三郎往いて仙台藩の先鋒隊長を訪ひ議する所ありしも、進攻の止むべからざるを答ふ、ゆえに退きて守備す、この早暁西兵(仙台)四小隊は石筵へ、一小隊は左右の間道より来り迫る、我が兵十八人これを支ふ終に禦くこと能はず、勝軍山上の砦壁に入る、西軍は萩岡の営を焼き兵を収む。

{土湯、嶽湯、中山、御霊櫃の四口にて好成績を得たるに、単にこの口において小敗を取りしは怪しむべし、思うにこの口においては我が兵敵を侮り偵察を怠りしにより、我が兵に比し遙かに優勢なる四小隊の兵、ついに攻め来りしにより止むを得ず退却せるが、敵も只営所を焼き若干の戦利品を得て直に引き上げたるにより、山上の遊軍応援の隙なかりしがごとし、何れにせよこの方面の主将怠慢の罪は冤るべからず、またこの小敗は何等の影響なかりしは幸なりき。}






卷五 東方の戦上  会津戊辰戦史1
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/01/21(月) 11:34:25|
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