いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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世良修蔵等の専横

世良修蔵等の専横

 しかるに客月二十六日但木土佐、木滑要人より我が使節を陣門に入れたるの報告に就き、総督よりこれを本営在陣の醍醐少将に伝え醍醐少将は世良の意見を問い、更に出羽在陣の副総督および大山の意見を問はしめ、仙台、米沢両藩休戦の報告をなしたる後に至りて、世良、大山の名をもってしりぞけ、但木、木滑に左の令を伝ふ。
 
 但木土佐
 木滑要人
今度会津容保為謝罪歎願家来相越候由米沢より申出に付陣門へ相通候段届書の趣を以て総督へ申入候処至今日謝罪歎願の名は相立不申侮悟降伏謝罪の兼は当月中頃の事に可有之其儀に候はゝ近日白川口進撃出陣先陣門へ罷出歎願可申出又容保並に家来の者心底情実の所篤と相糺可申出候此段相達候事(文面明亮ならず強いて説をなさば『国元にありて謝罪するをは去る二月中頃の事ならば取り上げもすべきに、今となりては時期後れたり、併し真に侮悟降伏を請はゞ白川口に来るべし』との義か)但侮悟降伏はゝ其藩周旋の者一同白川口へ可能出候事
 閏四月 鎮撫総督参謀
世良修蔵
大山格之助


 実に世良、大山等がなす所天下の為に謀るにあらずして、要するに薩長両藩のために私怨を報いんとするに外ならず、彼の九条総督の臣側目付戸田主水が、四月二十七日書を九条総督に上つり岩沼の本営を出でゝ行く所を知らざるに至りしは、実に世良、大山等の専恣途に奥羽諸藩の人心を激昂せしめ大乱を醸成せしめんとするを慮り、その仙台に入るや速やかに鎮撫の実を挙げんことを期し、しばしば建策する所ありしも容れられず、却って世良等の恨を買いしによると称せらる、主水の上書は次のごとし。

鎮撫の事たる鎮むるなり撫つるなり人民を鎮め撫つるは殿下の御職掌にしてみだりに兵威を以て人民を厭服し給うの言にあらざるや明かなり、臣主水殿下御東下以来大山世良両参謀の為す所を観察するに、殿下の為に痛嘆せずんばあるべからざるものあり、請うこれを陳せん寒風澤(松島湾の外部に在る宮戸島の港なり)御着港の即日東名浜(寒風澤に対する陸前国桃生郡野蒜村の一港なり)にて大山参謀は江戸の商某の商船および貨物をも敵地の物なりとして掠奪し号して分捕と云う、臣主水軍旅の事はこれを知らず、中略人民を撫するこのごとし況や人民鎮撫の御職掌の殿下に参謀たる者に於いておや、世人は視て鎮撫使のなす所となし、これを疾みて官賊と称するに至る、殿下奥羽の地踏む一歩、しかして此の如しこれ奥羽の人望を失うの基を開くの一なり、薩長の兵士本営門外に乱暴実に驚くべき者あり、あるいは路傍に臣士を侮辱し、あるいは市井に商売を威嚇し、あるいは山野に婦女を強姦し、あるいは仙台誹謗の歌謡聞くに忍びざることを白昼大道に高吟するの類両参謀知りて、しかして惜て問はず、士民の怨みいづこにか帰す、これ殿下人望を失うの二なり、従て討会出兵の遷延するも両参謀本営において人中に大藩の君公老臣を嘲弄するの類その臣子たるもの誰か心に快とせんや、これ殿下の人望を失うの三なり、荘内のごとき罪ありとすれば問罪使を発してこれを責め、その罪に服せずば朝廷に具陳し栽可を得てこれを処するを当然とす、殿下十四日に副総督澤卿をして荘内追討に出陣せしむ、しかれども世人その罪を知るものなし、官位を止めらるゝの命なく、また荘内藩士朝廷より出京督促の命を受けて十七日に荘内に帰国すと云う、これをもってこれを観れば朝廷の賊とし給はざるやまた明かなり、大山参謀は去年荘内・上ノ山藩邸焼討(文久以来幕府荘内・上ノ山二藩に江戸市街巡邏を管せしむ、薩藩浮浪の徒を邸内に召集し荘内の屯所を侵し市中を却盗す、慶応三年幕府政権を奉還するにおよび掠奪最も甚だし故に二藩薩邸を襲撃してこれに火す)をもって我が私怨なり、故にこれを討つと公然自ら口にす、この言を聞き誰か殿下討荘の命を報ずるものあらんや、これ殿下奥羽に人望を失うの最大且つ甚だしきものにして、これその四なり、世良参謀討会出陣と号し常に福島辺りの妓棲に在り、昼夜昏旦を分たず杯盤狼藉傍ら人無きごとく大藩の重臣隊長を駆使する奴僕のごとく、討会催促の急なる矢のごとし、ゆえに諸隊長より兵卒に至るまで世良参謀を疾み視る仇讎のごとし、これ殿下人望を失うの五なり、この数もの殿下ことごとく知るあらず、しかれども士民の怨みことごとく殿下の御一身に帰す故に本営に火せんとするものあるに至る、会津のごとき素より罪あり、しかりといえどもまさに罪を謝し降らんとす、縦令降るも世良修蔵の拒みて容れざるは殿下の知り給う所なり、これ他なしその意甲子の怨(蛤門の敗戦を云う)を会に報ぜんと欲す、ゆえに大山参謀をして私怨を荘内に報ぜしむるを煽動し、我またその志を遂げんとするに在り、これ会荘に一時に戦いを開く所以にして軽挙また甚だしとす、これ臣ただ一人の知るのみにならず、永田真一郎(筑の隊長)等もその情を知る、殿下如し臣が言を疑はゞこれを真一郎に問い給へば、すなわち臣が言の妄ならざるを知るに庶幾からん、ああ王者の兵は拒むものはこれを討ち降るものはこれを容ると、不日会津罪を謝して降るあらば殿下よろしく顧慮し給はずんば啻に人望を失うのみならず、薩長の私怨私闘に駆使せらるゝ嫌疑なしとせず、啻に嫌疑を受くるのみならずまさに為すべからざるに至らんとす、京を去る一千五百里何の日か復命するの期あらんや、これ臣主水実に殿下の為に日夜痛嘆する所以なり、速に鎮撫の御成功あらんことを請願の至りに堪ふるなし誠惶誠恐頓首泣血再拝(四月二十五日)
 戸田主水


 両参謀の専恣このごとくなるをもって、仙台、米沢両藩においては今会津藩歎願書を総督府に提出するも、世良参謀のこれを拒むは必然なるをもって、奥羽列藩の意見を確かめ、その共同の力によってこれを提出するの要ありとし、両藩の老臣但木土佐、坂英力、千坂太郎左衛門、竹保美作は檄を伝えて奥羽列藩の重臣を白石に会するに至れり。

以手紙致啓達候陸奥守并弾正大弼義会津容保御追討の先鋒被仰付陸奥守出陣被致候処今般(容保の二字落ちたるものならん)家来共陣門へ相越謝罪之義歎願申出候に付致御衆評度候間御重役の内白石陣所へ御出張相成候様致度候以上






卷五 東方の戦上  会津戊辰戦史1
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/01/23(水) 12:34:07|
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