いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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白河城の奪取

白河城の奪取

 これより先閏四月十六日初めて我が兵を大平方面に進め、純義隊長小池周吾、会津隊長野田進、真名子村(西白河郡西郷村大字真名子)に出陣す、野田進、内村砂次郎潜行して白河、棚倉地方の形勢を探る、時に仙台、二本松、棚倉、三春、泉、湯長谷、各藩の兵白河城を守り、世良修蔵牙城に在り、薩州、土州、大垣の兵来るの報に接し、修蔵令して各藩の兵を他に移し、独り二本松の兵を止めてこれを守らしめ、修蔵は福島に至る、しかして守城の各藩は皆戦意なきものゝごとし、十九日間諜報じていわく、仙台の兵すでに矢吹(西白河郡矢吹町)に退き、岩城、三春の兵もまた退かんとするものゝごとしと、これにおいて我が軍機失うべからずとなし、野田進、小池周吾各々その隊を率いて奮進し、別に使を馳せて勢至堂口の守将鈴木作右衛門に報ず、二十日暁天兵を三分し小池周吾は後門より、野田進は前門(追手門なるべし、城の正南門なり、後門、外城は詳ならず)、三坂喜代助、西山半三郎等は外城より猛撃す、城兵狼狽して支えず、我が兵火を会津町(城の正西方に在り)に縦ち敵兵十余人を摛にす、三坂喜代助、外城の女墻を攀ぢて城中に在り、直ちに城門を開く、全軍侵入す、城中大に驚き、二本松の兵は敗軍を装うて退き、岩城の兵は火を城中に放ちて退く、我が兵城に入るや、たまたま二本松の兵士一人馳せ来りていわく、喜藩とは密に約する所あり、しかるに今火を放つは何ぞ(火を放ちたるは我が兵にあらず、発砲の誤りにあらざるか)、吾らこれを質さずして退くは武門の道にあらずと頑然として動かず、我が兵答えていわく、嫌疑を避けんがため故らに攻撃の態度を示したるに過ぎず、請うこれを諒せよと、また中地村の郷士渡部留助城中に入り、長州人中村小次郎を斬らんとす、中村もまた刀を揮って暫く格闘せしが、渡部はついに中村を地に倒し首を馘せんとせし時、たまたま一敵兵(岩城藩の兵ならん)来りて渡部を斬り、中村は二本松兵に助けらる、かくて我が兵城に在るや太田原の西軍来り襲わんとするの報あり、よって急に戦備を修む、午の下刻勢至堂口に在りし鈴木作右衛門、田中左内、青龍一番士中半隊頭落合経三郎、一小隊を率い野村元六、矢島村右衛門、農兵を率いて来り会し兵勢すこぶる振ふ、仙藩和田右文この状況を見、馬を馳せて郡山至り、参謀醍醐少将に報ず、少将色を失い、従者二三人と潜行して福島に至りしに、関門堅く鎖して入るを得ず、従者守衛に告げていわく、醍醐少将帰陣す速に門を開けと、守兵いわく、印鑑を示さゞる者は通過を許さずと、仙将泉田志摩これを聞きて門を開かしめ、先導して福島城に至り、その夜舟を逢隈川に浮かべて密に仙台に帰る。
 閏四月二十一日一柳四郎左衛門、隊兵石塚源助、林部敬蔵をして左の書翰をもたらして福島に至り、瀬上主膳に贈らしむ。

一簡啓上仕候向厚の節御永陣御心労に候処益御勇勝珍重奉存候然るに昨夜中根辰野帰営御左右承知賊首世良修蔵御手へ生虜の由始終御神算の程感歎及楮上奉存候隋而残党周章狼狽可致哉御人数に御不足は有御座間敷候得共白石御本陣近口の儀にも御座候得は相応の御警衛無御遠慮可被仰聞候右為得貴意如斯に御座候恐惶謹言






卷五 東方の戦上  会津戊辰戦史1
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  1. 2013/01/28(月) 11:54:09|
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