いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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棚倉の陥落

棚倉の陥落

 六月二十四日暁天西軍七百人白河城を発しまさに棚倉城を襲わんとし、兵を分ちて二となし、一は関山(西白河郡金山村の大字、我が左翼なり)より進み、一郷戸村(西白河郡金山村棚倉街道に在り、我が右翼)へ向い、進みて東軍の壘壁を襲う、棚倉口の我が将小森一貫齋、木村兵庫、土屋鐡之助、仙台の将佐藤宮内、棚倉兵、相馬兵等予め郷戸村の切通に胸壁を築きてこれに據り、木村の一小隊をして外壘にこれを看守せしむ、卯の上刻西兵三面よりこれを攻むるや、木村の隊兵防戦頗る努む、土屋鐡之助隊は棚倉の兵と共にこれを援け、戦い利あらずして番駅に退く、独り木村の兵返戦し小山田大学これに死す、尋いで小森の兵仙台、棚倉、相馬の兵と来り共に邀へ闘うといえども、西軍新たに兵を更ふることは数次、我が兵支えず退いて金山の壘壁に據る、すでにして西兵森林の経路を廻りて金山の背を衝き、我が兵守る能はずして棚倉に退く、木村の兵、棚倉、相馬の兵多く死傷せり、西兵郷戸、金山を破りて追撃棚倉城に迫る、城中兵士多くは出て戦い留まる者わずかに三十余人と老女婦女とあるのみ、これにおいて有志の士逆川(東白河郡社川村の大字)に進み出て長州、土州、忍の兵と戦うの際、薩州、大垣、黒羽等の兵横に襲い来りたれば、河岸の壘壁に據り暫く奮闘す、西軍突撃する者潮のごとく、東軍衆寡敵せざるを知り火を城に放ちて釜子(西白河郡釜子村)に奔る、木村、小森の兵は須賀川に退き、仙台、相馬の兵は共に笹川(安積郡水盛村の大字)に退き相馬兵はついに中村(相馬郡中村町)に帰る。
 この日仙台の将伊達将監手兵を率いてその釆邑水澤(岩手県膽澤軍水澤町)に帰る、けだし九条総督転陣の後盛岡藩反盟の風説あり、その釆邑境を盛岡に接するを以てなり。
 六月二十五日大谷地より白河城を攻撃せんとし、昧爽坂平三郎、木本内蔵之丞、軍事方および小原宇右衛門を本営に会し部署を定む、卯の刻頃大谷地に至り兵を分ち両道より進撃す、一番砲兵隊三番格は六反山の敵に向い、二番格一番格木本隊は金勝寺山の敵に当る、坂隊、並軍事付属兵は大谷地を守り西兵とわずかに谿間を隔てゝ戦う、西兵すこぶる要地に據り砲弾を乱射す、我が兵地の利を得ず対抗する能はず、ついに退きて兵を大谷地に収む、会々野田進隊兵を率いて来り援くるも後れて及ばず、共に兵を班へして刎石を戍る、この日総督西郷頼母刎石に来る、一番砲兵隊小隊頭遠山寅次郎重傷を負い尋いで歿す。

 




卷五 東方の戦上  会津戊辰戦史1
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/02/05(火) 11:02:49|
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