いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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平城陥る

平城陥る

 たまたま十二日酉の下刻雲霧大に東方に起り、たちまちにして濃霧となり晦冥咫尺を弁ぜず、寅の刻、因州、備前、柳川、佐土原の兵は南方湯長谷、湯本よりし、薩州、大村の兵は分かれて二となり、一は薄礒よりし、一は中作、七本松よりす、城兵城を出る一里許土俵をもって砲台を築きてこれを待つ、城兵は久保関門およびその他の壘壁に據る、佐土原、備前の兵、城西尼子橋より東軍を横撃し、更に才槌門に迫り、一隊は六間門を砲撃す、城兵郭内玉の門、六間門より城壘に據り皆死屍を越え傷兵を顧みずして戦う、砲声天に震ひ濃霧彼らを弁ぜず、一方薩州、大垣兵は東方不明門より薄る、たまたま疾風暴雨俄かに起こり迅雷耳を劈く、城兵能く防ぐといえども衆寡敵せず、諸門皆破れ砲弾已に竭き、わずかに二十発を剰すのみ、加ふるに四ッ倉なる米沢藩の応援頼むに足らざりしかば、平藩上坂総長独り止まりて孤城を死守し、諸将士をして去りて再挙を謀らしめんとす、相馬藩の隊長相馬将監その大計にあらざるを以て、一度開城し相馬領界の要所に據り、各藩と連合大挙して他日の回復を期せんと論ず、城中の将士もまたこれを賛成す、上坂も決する所あり、諸士と共に涙揮って火を牙城に放ち城北戸張門より出づ、これより先、城主安藤鶴翁は近臣と共に出て近郊に在りしが、純義隊これを御衛し四ッ倉に去る、西軍市街村落の財宝鶏犬を掠奪し遺す所なし、婦女の掌を穿ち繩を貫きてこれを牽き以て使役に供するに至る、その残虐暴戻おおむね此のごとし、この役東西両軍死傷多し、平城陥るの後東軍四ッ倉向って走り中壁村に至る、笠間の兵潜伏する者百余人出でゝ路に要撃したるも、純義隊、彰義隊これを撃破して過ぎ、兵を四ッ倉に収むるを得たり、尋いで四ッ倉は要害の地にあらざるを以て熊町(雙葉郡熊町村)まで退軍す〔東記、七年史、戊辰私記〕。





卷五 東方の戦上  会津戊辰戦史1
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/02/09(土) 10:17:09|
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