いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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法親王軍務を総攬す

法親王軍務を総攬す

 七月十三日法親王白石城に移る、仙台の額兵隊(皆西洋兵式を学ぶ者、星恂太郎これに長たり、仙台第一の精兵にして、服色は英式に習いて赤色を用い、戦に臨み裏を転じて黒色となすの方法なり)従って警衛す〔仙台戊辰始末〕、板倉、小笠原両侯、片倉小十郎城外に迎ふ、これより法親王奥羽列藩の推戴を容れ軍務を総攬す、仙台藩相但木土佐等もっぱら従待す。
 七月十四日子の刻仙台兵根田に至る、その将泉田志摩は途中大和久(矢吹の近くその南に在り)より遁れてついに戦地に至らず、会々大雨泥濘脛を没し進退意の如くならざりき。
 同十五日東軍白河城を攻撃せんとし、昧爽上小屋を発し、一番砲兵隊木本隊は長坂方面に向い、鈴木式武隊、井深守之進隊、杉田兵庫隊、野田進隊、仙台兵は大谷地方面に向かう、坂平三郎は山神山を扼す、砲兵隊の陣地は地の利を得ず、西兵接近し来り山上より砲撃す、砲兵隊応戦せしも、本道大谷地方面の諸隊利あらずして退却し、西兵我が背後を衝かんとしたれば兵を上小屋に収む〔小原書出〕。
 この日阿部葆真主白石城に至り法親王に謁し、板倉勝静朝臣、小笠原長行朝臣と共に軍議を裁断す、また米沢藩下条外記白石に来りていわく、寡君白石に来り法親王に謁せんとしたるに、十一日秋田封境に苦戦し我が兵利を失い、親兵を出してこれを援くるを以て来ること能はずと〔南摩筆記〕。






卷五 東方の戦上  会津戊辰戦史1
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  1. 2013/02/09(土) 15:54:11|
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