いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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仙台藩の降伏

仙台藩の降伏

 かくて列藩同盟解体し、米沢藩先づ西軍に降り、越えて九月十四日伊達慶邦朝臣は伊達将監、石母田但馬を遣わして降伏の歎願書を官軍に贈る、同藩星恂太郎これを聞きて大に憤り、藩相数人を殊戮せんとしたるが、榎本武揚、土方歳三、諏訪常吉等周旋してこれを止む、この夜恂太郎隊兵を集めて置酒し、衆に謀っていわく、予は明日朝兵を出さんとするの決心なり、これ君名にあらず、諸君の従うと否とは各々その意に任せん、従わざる者は銃と軍服とを留めて去れと、兵士皆いわく、唯命維れ従わんと、これにおいて十五日卯の刻頃三たび大砲を発し、恂太郎馬にまたがり刀を抜き、額兵隊およそ八百余人、隊伍を整え堂々として屯営養賢堂(元の藩校)を発す、けだし先づ相馬口に向いてその西軍を撃たんとするに在り、進んで岩沼に至る、この時に当り本道の西軍はことごとく会津に入りたれば、相馬口の西軍はしきりに援を江戸に乞う、恂太郎諜してこれを知り、その虚を衝き更に三春を襲い、進んで関東に向い、徳川氏の兵と共に海陸より西軍の背後を掩撃してこれを滅ぼさんとするにありき、伊達慶邦朝臣父子これを聞きて驚き、馬を馳せ追うて岩沼に至り、親しくこれを慰諭して進撃を止むるを得たり〔仙台戊辰史、仙台戊辰始末〕。

 九月十七日西軍仙台城下に来るの説あり、榎本武揚等軍艦に搭じて函館に航せんとす、松平定敬朝臣、板倉勝静朝臣小笠原長行朝臣はわずかに一両臣を従い、開陽、回天の二艦に乗り、函館を経て荘内に赴かんとし、この日鹽釜に至りて乗艦す、柏崎才一、諏訪常吉、南摩綱紀等、荘内山岸市右衛門、白井吉郎に面し、荘内の行くの可否を謀る、両人いわく、我が藩は必ず降らず、もし降りるとも仙台とは自ら類を意にすべし、ゆえに足下等皆弊国に来るべしと、諏訪、柏崎、中澤寅太郎、雑賀孫六郎等は開陽、回天の二艦に乗じ、その他は陸行して荘内に赴くことに決せり、時に我が藩士の仙台に在るもの左のごとし。

小野権之丞
柴 守三
大庭恭平
神尾鐡之丞
柏崎才一
中澤寅太郎
永岡敬次郎
三瓶梶助
諏訪常吉
中澤帯刀
南摩綱紀
香坂政太郎
安部井政治
土屋宗太郎
井深恒五郎
雑賀孫六郎
宗像起格
大竹 作右衛門

外十六名


 この時に方りて道路梗塞会津に至る能はず、ゆえに路を荘内に取ることに決せるなり。






卷五 東方の戦上  会津戊辰戦史1
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/02/15(金) 11:29:15|
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