いがぐり史料館

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西軍長岡城を陥る(長岡及び其の付近の戦)

西軍長岡城を陥る(長岡及び其の付近の戦)

 五月十九日早天西軍長州の将三好軍太郎、堀潜太郎、高田の将若狭十左衛門等潜に元大島より舟を艤し、長州、高田の兵ニ百余人大砲一門を率い暁霧に乗じ枚を啣み激流を犯して河を渉る〔河井継之助伝〕。

 長雨水流急にして舟ほとんど覆らんとし僅かに前岸寺島(寺島の所在地詳ならず、但し高田藩の届書長岡藩諸隊長の報告により長岡藩の堡累は上流より草生津、中島、蔵王にして寺島は中島に近くその下に在りしものゝごとし)に達し〔続国史略後編〕、直ちに長岡藩毛利家の壘を砲撃す、毛利隊奮戦しばらくこれを支持す、ついで西軍の第二軍三百人許鼠島より渡る、時に大霧のため西軍の在る所及び兵の多寡を知る能はず、交戦終に支ふる能はず、前夜宿営に帰れる半小隊は西兵の砲撃を聞き直ちに赴き援けんとしたるに、西兵すでに我が陣地に據り弾丸雨注進むを得ず、戦い且つ退く、すでにして薩兵槇下村より水を渡り西軍の兵勢ますます振ひ、火を寺島村に放ち砲銃を乱射し吶喊して進む、これより先蔵王の壘を守れる長岡(牧野、長谷川、武)は大島方面の砲声を聞き各陣地を戒め居たるに、会々兵を小舟に乗せて長谷川の壘前を過ぐるあり、怪しみてこれを砲撃したるにすなわち濃霧の裡に影を失せり(これらの小舟の兵は西岸槇下より上れる薩兵二中隊なり)しばらくして砲声烈しく南方に起こり小弾濃霧破りて側面より来る、これにおいて始めて西兵の襲撃を知り、小島隊と力を協はせて毛利隊を援けんと欲せしも西軍猛撃し加ふるに対岸より河を渡りて来り援くる者相踵き〔河井継之助伝〕、榎峠、妙見の西軍もまた会し齋しく進み来る〔近世史略、続国史略後篇、河井継之助伝〕、しかるに長岡の精兵は多く妙見、浦柄方面にあり、衆寡懸隔し〔西記〕、東軍支えず、長岡の諸隊兵は兵学所近傍に退きて兵を収め、あるいは我が兵、村松兵と共に内川橋を扼す、西軍いよいよ勢に乗じ火を中島に放ち驀進して兵学所を衝く、我が諸隊ついに敗れ火を兵学所に放ち、反戦すること数次各々長岡城に退く、西軍は神田口、内川口、渡里町口の三面より合撃す、河井継之助は西軍の河を渡ると聞き直ちに機関砲隊を率い馳せて兵学所に至りて防戦す、ここに長谷川五郎太夫に逢う、長谷川いわく、この地戦に利あらず上田町もしくは渡里町に退いて防戦する方向ならんと、継之助これを然りとし、兵を引き返して内川橋に至れば、寺島より退却したる長谷川、武、小島の諸隊東堤に據りて殊死防戦す、継之助衆に告げていわく、我敵兵を渡里町口に防がんと欲す諸君橋を焼いて防戦せよと、自ら大手口に至る、我が総督一瀬要人、衝鋒隊長古屋佐久左衛門等と共に諸隊を督して防戦す、会々流弾継之助の左肩に中る、継之助屈せず自ら大砲を連弾し衆を激勤して防戦するも崩勢支えず、終に兵を収めて城中に退き、用人花輪彦左衛門、柿本五左衛門をして老侯牧野雪堂主(元老中忠恭朝臣)藩主牧野忠訓朝臣を奉じて森林峠を越えて会津に至らしむ、西軍ついに長岡城に侵入し、市街稲煙に蔽はれ砲銃の響き吶喊の声と相和し光景轉た凄惨たり、藩士あるいは憤慨城を枕にして決戦せんとするものあり、継之助は大隊長牧野頼母等と理を尽くして将士を慰諭し城を退かしめ、自ら城内殿屋を焼き退きて森立峠に至る、この地は長岡城を東に距る二里、橡尾に通ずるの要地にして中越一帯の地を収めて一眸の中にり、時に村松藩西軍に降り橡尾を奪わんとするの説あり、継之助はすなわち残兵を率いて橡尾に退く〔河井継之助伝〕。

 これより先、長岡城の危急に頻するや、河井継之助は槇吉之丞を六日市の本営に遣わし、佐川官兵衛、桑名の山脇十左衛門および長岡の軍事掛川島億次郎等に西軍侵入の状を告げしめていわく、今日区々の戦は益する所なし、むしろ皆橡尾に退き以て再挙を計るにしかずと、三士これを聞きて憤然禁ぜざる折柄敗報しきりに至る、あるいは云う西軍大挙して妙見に向わんとすと、あるいは云う西軍の先鋒は已に摂田屋に進むと、ますます急を報ず、これにおいて佐川、山脇、川島等相謀り日暮を待ちて退却せんとし、諸隊に令して厳に陣備を動かすことなからしめて、陽はに支持の態を示し、陰に退却の準備をなせしが、これその追撃を避けんとするにあり、已に夜におよび朝日山その他の要地を據守せる諸隊に令し交替に西軍を砲撃し漸次に退却せしむ〔河井継之助伝、七年史〕。

 朱雀四番士中隊は妙見の陣地を退却してこの夜六日市村に次す〔西記〕、桑名の立見鑑三郎退却の途次暗に乗じて長岡城の西軍を襲撃せんと申出でたるも議協はずして止む〔河井継之助伝〕、全軍橡尾に退く。
 衝鋒隊桃沢、長田は三小隊を率いて森田に在りしが加茂に退き、衝鋒隊今井信郎は一中隊を率いて青龍三番士中隊と共に大崎に陣す〔七年史〕。

 鎮将隊撒兵はこの日乙木村に屯し、同大砲兵は衝鋒隊桃沢彦次郎を援けて喜津の西軍を撃攘せんと欲し兵を金刀比羅山に出して砲戦す、会々長岡城陥るの報あり、すなわち乙木村に退き諸隊と合しここに次す〔西記〕。

 五月二十日寅の上刻頃我が砲兵隊、朱雀四番士中隊長岡兵二小隊、桑名兵、村松浜兵各一小隊は六日市村を発し、村松村街道を過ぎ濁川村より漸々山路に入り萱峠に登り長岡城下を黒煙の間に望む、これより山路を下り申の下刻頃半蔵金村(長岡の領地)に達す〔結草録、西記〕。
 
 五月二十一日辰の下刻朱雀四番士中隊、砲兵隊、長岡兵、村松兵共に半蔵金村を発し橡尾に至り、これより捷径を取り赤谷村を経て未の下刻頃栃堀村に至り、夜間栃堀村より八十里越に至るの山路を嶮し、半里許前方の山地に守る、長岡兵は栃堀村(長岡の領地)前片に陣す〔西記〕。

 長岡城陥落後河西の西軍前後河を渡り、尾州の兵は榎峠に、薩、長の兵は妙見に、松代、高田の兵は木津に、上田の兵は十日町に據り、薩、長の別軍および加州、飯田の兵は長岡城に據る〔河井継之助伝〕。

 長岡城陥りし後我が藩および各藩の兵は長岡の領地に入りて宿営するもの多く、これに提供する糧食役夫の賃銀等は総て長岡藩にて負擔し、各藩の軍隊よりは少しも受くる所なかりしが、河井継之助は、戦争久しきに彌り軍資糧食の缺乏せんことを慮り、協議して各藩の負擔となせり〔河井継之助〕。

 五月二十二日これより先奥羽越の同盟がなり、我が藩は白河口を督し、仙台は磐城口を督し、荘内もっぱら秋田に当り、上杉駿河守出でゝ越後方面の総督たり、その重臣色部長門、中老若林作兵衛、参謀甘糟備後、芋川大膳、千谷太郎左衛門、田丸右京等一隊を率い、中条豊前これを督し高山輿太郎軍艦たり、十七日水原に至り我が藩の重臣西郷勇左衛門、軍事奉行添役秋月悌次郎、荘内藩石原多門、石原友太夫と会議して防御の策を決し、荘内の兵は柏崎に通ずる海道を守り、我が兵は輿板口を守り、米沢の兵は加茂方面を守る、ついで我が藩、米沢の諸将は更に兵を進めこの日を以て加茂に入る。
 この日我が加茂の本営に会して軍議をなす、会する者我が総督一瀬要人、軍事奉行西郷刑部、同添役秋月悌次郎、同柳田新助、米沢の大隊長中条豊前、参謀甘糟備後、軍監倉崎七左衛門、同高山輿太郎、軍目付大瀧甚兵衛、桑名の隊長松浦秀八、軍事奉行金子権左衛門、同小寺新左衛門、立見鑑三郎、長岡の総督河井継之助、軍事掛花輪求馬、村松忠次右衛門、上山の祝新兵衛、村上の水谷源平次、稲毛源五右衛門、前田又七、林弘助、村松の森重内、近藤貢、清水軍次等なり、爾後列藩の諸将日々相会して謀議するに決せり〔河井継之助伝、七年史〕。

 五月二十三日辰の下刻頃朱雀四番士中隊は栃堀を発し、午の刻頃杉澤村に至りここに次す、戍の下刻頃西兵来襲の報あり、直ちに戦闘の準備をなす、佐川隊の小隊頭野口九郎太夫、半隊頭仮役木村理左衛門、一番小隊を率い栃堀村半里許前方に至り、小隊頭多賀谷勝之進、半隊頭能見久衛二番小隊を率い栃堀より四五丁前方の見附街道に至り道の左側に撒兵し、村松の兵は道の右側に出て、長岡の兵は村中より左側に進み敵の来るを待つ、西兵ついに来らず〔西記〕。

 米沢兵二大隊見附に至る、衝鋒隊々長古屋佐久左衛門五小隊を率いて大面に出てこれを援く、古屋隊の今井信郎、青龍三番士中隊兵を合し、見附の背後に出でんとして西兵を赤澤峠に攻むること二昼夜に及ぶも援く能はず、山下の村落に次す〔七年史〕。

この日列藩の諸将相会し、議して進軍の部署を定むること左のごとし〔河井継之助〕。

 見附口
会津遊撃隊 五十人 大砲二門会津砲兵隊 六十人
会津木本隊 百人 長岡村松隊八十人
米沢齋藤隊 百五十人 大砲二門米沢大砲隊

後軍米沢兵 二百人 計 六百八十人

 輿板口
桑名町田隊 六十人 大砲二門桑名大砲隊
会津鎮将隊 二百人 大砲二門会津大砲隊
衝鋒隊 二百人 上山兵 八十人
後軍米澤兵 百人 計 六百四十人

 橡尾口
其藩兵(藩兵を脱す) 八十人 長岡兵 九百人 計 九百八十人

彌彦口

荘内兵 二百五十人 
会津兵 二百人
村上兵 百六十人
計 六百十人

 鹿峠
桑名雷神隊 六十人

 五月二十四日進軍の部署に従い長岡兵は橡尾の西兵を追撃せんとし、進軍の部署に従い長岡兵は橡尾の西兵を追撃せんとし、川島億次郎は五小隊を率い文納の西兵に当り、共に攻撃して橡尾の西兵全軍を撃攘して大面に至る、牧野図書、山本帯刀は大澤村に至り日すでに没す、牧野は八小隊を率いて暗中樵路を挙ぢ危険を冒して進む、山本隊は大澤村に次す〔河井継之助〕。






卷六 越後方面の戦  会津戊辰戦史2
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  1. 2013/02/26(火) 12:28:17|
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