いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

杉澤の戦(長岡及び其の付近の戦)

杉澤の戦(長岡及び其の付近の戦)

 この日早天西軍見付より来り杉澤村の東軍を攻む、朱雀四番士中隊、長岡兵、村松兵応戦し弾丸雨注す、朱雀四番士中隊小隊頭多賀谷勝之進兵を指揮して奮戦す、東軍は道の右側に転じ防堤に據りて猛撃す、幾ばくもなくして市岡隊大砲一門を曳き来りてこれを援けしめが、数日来雨止まず弾薬湿うて砲を発すること能はず、隊士皆銃を執るといえども地利我に便ならざれば戦大に苦しむ、辰の下刻陰雲俄かに起こり終に烈風暴雨となる、弾丸ほとんど尽くさんとする際、佐川官兵衛朱雀四番士中隊一番小隊を率い、長岡藩軍事奉行萩原要人と共に馳せて橡尾より来り吶喊してこれを援く、西兵辟易の色ありしが、たまたま大雨の為、彼らの砲声しばらく息む、たちまちにして雨収まり西兵大に加わり砲声再び烈しく東軍死傷あり、しかして親衛兵の交替する者なく進撃すること能はず、且つ戦い且つ退き兵を杉澤村に収め、砲兵隊は長岡兵と共に杉澤村に発し、村松の兵はすでに退けり、我が軍の傷兵は八十里越より若松に送還す、長岡兵一小隊杉澤の枝村に留まりて殿戦す、朱雀四番士中隊、砲兵隊は薄暮森町に至る、これより暗夜を冒して嶮岨の山徑を踏破すること二里許、深泥脛を没して行歩すこぶる艱む、役夫皆遁れて留まる者なく隊士皆自ら砲車弾薬を運搬す、夜半竹村に至り民家に入り眠りて天明に至る、沿道の村民皆糧食を供して東軍を迎ふ、この日の戦卯の上刻より午の下刻に至る〔西記〕。

 五月二十五日朱雀四番士中隊砲兵隊巳の下刻頃加茂に至る、この日早朝長岡の牧野大隊辛うじて下鹽村に至り山本大隊は上鹽村に至る、朱雀二番寄合組隊および長岡の三間市之進は二小隊を率い加茂を発し西大崎村に次す〔河井継之助伝、西記〕

 時に河東の西軍はその守線を進めて本営を今町に置く、右翼は六十里越より左翼河岸に至るまで、およそ十五里、河西に在りては右翼輿板より左翼海岸に至るまで、およそ五里、すなわち全軍の正面およそ二十里に至る〔河井継之助伝〕。

 米澤兵四小隊、長岡兵三小隊、村松兵二小隊、赤沢村に至りて衝鋒隊、青龍三番士中隊を援け、連戦敵陣を抜くこと能はず、森町方面の我が兵進撃して西兵を破る、西兵火を村落に放ちて走る〔七年史〕。

 五月二十六日暁天米澤兵二大隊小栗山の西山を攻む、西兵山上より応じて砲撃し午の刻を過ぎ東軍ついに利あらずして退く、西兵直ちに山を下りて進撃す、古屋佐久左衛門五小隊を率いて左側の森林中に潜匿す、西軍これを知らず薩摩兵已に過ぎ高田兵来るを見て大声吶喊し刀を揮って突撃す、西兵支ふること能はず小栗山を棄てゝ退く、東軍山上の壘を奪いて戦う、間もなく薩兵返戦し東兵は疲れて戦ふ能はず大面に退く、この日薩の遊撃隊教導役を始め斬獲する事すこぶる多し〔七年史〕。

 朱雀二番寄合組隊は西大崎村を発し、五十嵐川を下り三条に至り御坊に宿す、後米沢の兵と交替して五十嵐川の渡頭を守る〔西記〕。






卷六 越後方面の戦  会津戊辰戦史2




スポンサーサイト

テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/02/27(水) 16:33:24|
  2. 会津戊辰戦争史2
  3. | トラックバック:0

トラックバック

トラックバック URL
http://igagurisiryoukan.blog.fc2.com/tb.php/154-9a0a4bcb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。