いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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島崎の前役(長岡及び其の付近の戦)

島崎の前役(長岡及び其の付近の戦)

 この時新遊撃隊長佐藤鐡之進、結義隊長渡部英次郎、井上哲作、荘内の石原多門、安部藤蔵等、寺泊に陣して出雲崎の西兵に備えしが、井上哲作、松宮雄次郎(越後観音寺村の俠客なるが、我が藩に同情して、その子分四十余人を一団とし号して聚義隊と云い、我が軍に加わる、観音寺は西蒲原郡弥彦村の大字なり)等今朝より輿板方面の砲声殷々たるを聞き、その攻戦の急なるを知り、相議して、今我が兵を島崎に出してこれを援け、且つ出雲崎より輿板の援路を絶たば東軍捿を得ること必せり、速に兵を出すにしかずと決し、これを佐藤織之進、石原多門等に謀りたるに、織之進は軍事奉行の令あらざれば容易に兵を動かすべからずと云いて応ぜず、多門もまた従わず、安部藤蔵一人これを賛成す、これにおいて関場辰治(関場は町野隊の半隊頭なりしが、町野隊は小出敗戦の後六十里越を経て会津に入り、八十里越より再度越後へ出でし由なれば、隊の一部を関場に附して寺泊へ分遣せしにや、あるいはこの頃関場は他隊へ転任せしにや詳ならず)、井上哲作、渡部英次郎三人斥候と称し、松宮が聚義隊四十七人を率い、水戸亡命の士齋藤新之助、村上亡命の剣客遠藤海蔵を伍長とし、結義隊一小隊と共に午前寺泊を発し間道馳せて島崎に向う、時に西兵また輿板の急なるを覚り、出雲崎より富山、高田の兵を発し、輿阪を攻むる東軍を横撃せんことを謀り、高田兵は島崎駅端に止まり、富山兵は駅中の寺院に入りて餐を傅ふるに逢う、関場、井上、渡部等密に島崎駅北の山上に登り、松樹の間よりこれを目撃し、役夫を戒めて銃声起らば喊声を揚げよと命ず、会々小銃一発を合図に我が軍喊声山谷に震う、我が軍たちまち白煙糢糊の間より刀を抜いて高田兵に突撃したれば、高田兵狼狽して走り返戦する者わずかに七八人、水戸亡命の士齋藤新之助は高田の銃隊指図役伊藤光次郎を斬り、関場辰治は高田の黒澤六郎の首級を獲たり、また進んで井上、安藤等の諸隊と富山兵を撃つ、関場の隊兵屯宮勘之丞寺門より入り、富山の隊長関澤六左衛門を斬り余兵皆走る、西兵なお駅中に潜匿すと聞き、火を放ち薄暮軍を収めて帰る、これを島崎の前役とす、この日この挙なくんば輿板に向いたる鎮将隊は西軍の横撃を免るゝこと能はざりしなるべし、この戦敵の首級七人を獲、捕虜十一人、大砲一門その他鹵獲品多し〔累及日録〕。





卷六 越後方面の戦  会津戊辰戦史2
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  1. 2013/03/01(金) 17:48:26|
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