いがぐり史料館

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指出の戦(長岡及び其の付近の戦)

指出の戦(長岡及び其の付近の戦)

 この日東軍米澤、山形および我が砲兵隊大面に出て帯織村に陣し指出村に戦う、午後西軍大に加わり米沢、山形の兵乱れて大面に退くや西軍の追撃甚だ急なり、会々衝鋒隊赤装の新鋭来りて突撃し西軍たちまち敗退す、米沢、山形の兵反戦し砲兵隊甲子佐々木八次郎は薩兵一人を斬る、西軍火をその陣せる三村に放ちて遁る、衝鋒隊その地に據る〔七年史、西記〕。

 河井継之助は昨日(二十七日)密かに橡尾方面に在る八小隊長に令し、守兵を止め、急に加茂の本営に会せしめ、諸隊長に告げていわく、長岡城を回復せんと欲せば先づ今町を攻略せざるべからず、しかるに西軍主力をこの地に集注し、その勢侮り難し、ゆえに一隊を本道に進め、盛んに軍容を張りて西軍の精鋭をこの方面に誘い、別軍を鬼木方面に進め、一は河西より齋しく進んで西軍の虚を衝かば捷利疑なし、今や西軍は嬰守の策を執り偏に援軍の至るを待つ、我より機先を制するにあらずんば攻守終に勢を異にするに至らん、兵機失うべからず、諸君熟慮して答えよと辞色甚だ決す、諸隊長熟議してこれを賛成す〔河井継之助伝〕。

 五月二十九日継之助部署を定め、山本大隊長一隊を率いて本道を牽制し、継之助自ら一隊を率いて間道を突撃せんと欲す、発するに臨み衆に告げていわく、今町の西軍の主力を集注する所なり、今町破るれば見附の西兵はこれを守ること能はざるべく、見附我が手に帰せば橡尾の西兵もまた自ら支えざるべし、かくの如くにして橡尾我が軍に帰せば彼地は我が封内なり、我が軍仮令速に長岡城を回復すること能はざるも、彼地に冬営し厳冬積雪の候敵軍の困厄に乗じ機を見て城下に突進し一挙に彼らを撃退せん、これ余が最後の策なりと、諸隊人ごとに金五両を輿へていわく、各自国家の為に命を致す旦夕を計らず、諸子三条に至らば半宵の快を買うもまた防げず、ただ明朝卯の刻を期して宿営に帰り令を待てと〔河井継之助伝〕。

 この日米沢兵再び小栗山の西軍を攻む、衝鋒隊二中隊昨日薩兵の退却としたる路より小栗山の背後に出でんと欲し帯織村に進む、西軍壘に據って砲撃す、東軍田畝の間に伏して戦いついに西兵を村内に撃退す、薩兵刀を揮って返戦し東兵少しく乱る、館辰三郎奮勤突進西兵三人を斬るも鈴木蠖之進、高橋一、三浦某等共に進んで大に戦い、西兵支えず火を村落に放ち大面に退陣す〔七年史〕。

五月三十日河井継之助は大隊長山本帯刀七小隊大砲二門を率い加茂の本営を発して三条に宿す〔河井継之助〕。

 六月朔日佐川官兵衛、古屋佐久左衛門、朱雀四番士中隊、砲兵隊、衝鋒隊二隊は辰の刻頃加茂を発し三条に至る〔西記〕。河井継之助、萩原要人、長岡の諸隊(池田、齋田、本宮、田中)を率いてこれに合し、三条を発し尾崎街道より撤宵進撃す、会々信濃川大に漲り人家を流し防堤を壊り、加ふるに暗中行路の艱難危険言ふべからず、寅の刻頃、鬼木新田に次す〔西記、河井継之助伝〕。

 長岡の山本帯刀、花輪求馬、山本、大川、小島の諸隊を率い、米沢の柿崎隊並一小隊は帯織、山王に次す〔河井継之助伝〕。

我が砲兵隊はこの夜、三条を発し夜舟にて五十嵐川を溯る〔西記〕。

青龍三番士中隊中隊頭木本慎吾は兵を率いて赤坂山の西兵を攻めたるも抜くこと能はずして退く、この日、根小屋の東軍は小島谷に出て阿弥陀に至りしも、西軍すでにこの地に據りたれば、路を転じて雷塚に至り、備後山の西軍と戦い利あらず、兵を根小屋北野に収む〔七年史〕。

朱雀二番寄合組隊は兵を大面村切通に進め、小隊を指出村に出して砲戦す〔西記〕。
 





卷六 越後方面の戦  会津戊辰戦史2




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  1. 2013/03/02(土) 11:26:15|
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