いがぐり史料館

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福井の戦(長岡及び其の付近の戦)

福井の戦(長岡及び其の付近の戦)

 六月十日我が砲兵隊、朱雀四番士中隊は長岡兵と共に見附を発し漆山にて長岡兵と合し福井に進みて戦う、衝鋒隊、遊撃隊は米澤兵と兵を分ち中之島方面大口村より進み、長岡兵、青龍三番士中隊、村松兵は七軒町右側より一斉に攻撃す、西兵は要地に據り壘壁を重複に築いて守る、行路は狭く近傍は皆泥濘にして兵を撒布する能はず、諸隊少しく逡巡す、一人朱雀四番士中隊および長岡兵は猛撃して大に戦い西兵一二の壘を棄てゝ敗走す、しかれども左右泥濘にして追撃すること能はず、日暮れ兵を収む、朱雀四番士中隊は見附に、長岡兵は漆山、四谷(漆山の南に在り)、百束に、我が砲兵隊は漆山に各々兵を収む〔西記〕。

六月十一日新発田の兵見附に入る〔河井継之助〕、諸方面戦い烈し〔西記〕。

 これより先、米澤藩の三瀦清蔵、長井藤十郎、石井孝一郎は同藩総督千阪太郎左衛門の令を持し来りていわく、新発田は首鼠両端なり、今におよんでこれを討たずんば、恐らくは禍を胎さんと、六月三日、会、仙、米三藩の兵を新発田に進め城下に迫る、この日三瀦、長井、石井等は新発田を要し藩主は出でゝ米澤に質と為り、且つその兵を出して信を表せしめが、しからずんば旗鼓相見んと掛合ひたれば、五日藩主溝口誠之進は城を出でゝ清水谷に館し〔清水谷は城外十里許に在り、新発田侯の別業なり〕、まさに出でゝ質たらんとす、これにおいて我が兵は退いて五十公野に次し、仙米の兵は松崎(阿賀野川河口の東岸に在り)、沼垂(新潟の東対岸に在り)に次す、時に新発田の農民四方に集まり橋を徹し路を梗ぎ以て藩主の米澤に行くを阻止す、六日夕に至り農民ますます加わり旗を掲げ竹槍を持し城下に充満す、すなわち老公静山主(藩主の父、直溥朝臣)、清蔵等三人を城中に招き餐していわく、農民の嘯集は藩士の使嗾に由る、しかも勢制すべからずこれを如何せんと、三人退いて議していわく、新発田藩反覆遷延して今に至る、口舌を以て争うも無益なり、これを討つにしかずと、この夜農民三百人許、会、米澤士の旅館を囲みほとんど危かりしも解き去る、七日我が藩の平尾豊之助、長井、三瀦等相議して平尾は仙台の鴫原長太郎、米澤の某と新潟に赴き、三瀦、長井は関に赴き(この時米澤出でゝ関に陣す)、各兵を率い来りて彼を討たんと約し各別れて発す、八日平尾は新潟に至り我が藩相梶原平馬、軍事奉行手代木直右衛門、米澤の総督色部長門、佐藤某と議したるに皆新発田を討つの議を拒み、仙、米の士もまた約を変ず、平尾一人前議を執るも行はれずして止む、九日我が将有泉壽彦、仙将鴫原、米将三瀦、石井等五十公野の本営に会し、新発田藩相溝口内匠、邸監山崎重三郎を呼び約に背く数事を責め農民嘯聚の首謀者を出さしむ、十日内匠等首謀二人を携え来るもその人にあらず、諸将その姦計を怒りて送り帰す、その夜内匠等来りていわく、老寡君親から藩士を会し諭すに奥羽越同盟の大義を以てし、もし命を拒む者あらば厳に罰せんと達し闔藩命を奉ぜり、明日必ず兵を出して信を表し以て同盟列藩に謝せんと、会々米澤の重臣大瀧新蔵来りていわく、新発田兵を出さば必ずしも藩主を質とせざるも可ならんと、同盟の列藩異議ありといえども初め奥羽越同盟するや越後の事を以て米澤に委す、ゆえに仙台以下の列藩強ひてこれを争う能はず、しかして大瀧新蔵は米澤の重臣にして頗る権あり故に三瀦等もまた抗する能はず、これにおいて新発田質を出さずして止む、この日新発田援兵数百人を出し、会、仙、米の兵と道を分って発す、我が兵移りて水原に次す、これより先、我が藩相上田学太輔は水原に在り、総督一瀬要人は地蔵堂の本営に在りて策応をなす〔自警編、続国史略後編、壘及日録〕。

 六月十二日東軍方面占拠の策を協議し、橡尾方面は衝鋒隊、桃沢彦次郎は田野口に、長岡兵は土ヶ谷(此禮の東北一里弱に在り)並びに此禮村に、村松の兵は赤谷泉村に、我が第二遊撃隊は森立峠口荷頃(此禮の東北に在り)に各陣を転ず、遊撃隊は荷頃村曹源寺を本営とす、十数町前方一の貝村境界に三箇の砲台を築きて守る、西軍は森立峠の要衝に據り、その他山地処々の要地に壘壁を築き、山中に道路を開きて浦瀬村の本営より交通を便にせり、しかして相待して未だ決戦せず、時々一の貝村辺に哨兵を出し小衝突あるに過ぎず〔西記〕。

 この日村松藩の交渉に由り軍隊の糧食は彼藩の提供を止め自今我が藩にて購ひ提供することゝ為す〔西記〕。

東軍福井、百束、鹿熊辺に胸壁を築き哨兵を置く〔西記〕。

 六月十三日我が諸将および米澤、長岡の諸将は見附に会し進撃の策を建て、令を諸隊に伝えていわく、明日拂暁軍を進めん、号砲を開かば各陣地より再齋しく攻撃すべしと〔西記、河井継之助〕。






卷六 越後方面の戦  会津戊辰戦史2




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  1. 2013/03/06(水) 11:21:15|
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