いがぐり史料館

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大黒其の他の諸壘進撃(長岡及び其の付近の戦)

大黒其の他の諸壘進撃(長岡及び其の付近の戦)

 六月十四日東軍まさに大黒、新屋、福島、猿橋、筒場、宮島、浦瀬(これら諸部隊落中、大黒、福島、浦瀬は所在地前に記載せり、筒場は七軒の西に在りて近し、新屋、猿橋、宮島は所在地詳ならず)の西兵を撃たんとし、沸暁猛雨を冒し朱雀四番士中隊、砲兵隊、長岡兵は福井村右側の堤防より猿橋口に、長岡兵は大黒口に、青龍三番士中隊砲一門鹿熊より、我が砲手および長岡の砲手一門に百束より猿橋口に、別に長岡兵砲一門は百束より大黒に進む、卯の上刻頃号砲一発と共に一斉に各陣地より砲撃す、東西両軍の砲声万雷のごとし、諸隊奮戦我が砲兵隊、長岡兵、朱雀四番士中隊は共に、橋口西軍一二胸壁の左側に廻り田畔に沿うて進撃す、西軍大に敗れ一二の胸壁を棄て猿橋に退く、青龍三番士中隊は長岡兵と共に大黒口一二の胸壁を奪いたるに、西兵四人在り刀を揮って返り戦う、青龍三番士中隊小隊頭西郷寧太郎、同隊付属衝鋒隊半隊頭田中勇之と接戦し各一人を倒す、敵四人の勇猛称するに堪えたり、夜におよびて交々退く、この戦いすこぶる激烈にして西軍の死傷は二百を算するに至れりと云う、この日大曲戸に在りし長岡兵は大黒の火起こると共に猿橋口に進み、西軍を牽制するの方略なりしが、機を失うて果たさゞりき、衝鋒隊は大口より進んで十二潟、高見(共に大口の西南に在りて近し)の西軍を襲撃し砲一門を獲たり、我が砲兵隊は漆山に、朱雀四番士中隊は百束に次す〔西記、河井継之助伝〕。

 この日土ヶ谷に陣せる長岡の二隊および米澤の一隊は本道より、また長岡の一隊は扇ヶ谷(所在不明)より倶に栃窪峠(土ヶ谷の西半里許に在り)の西兵を襲撃す、時に濃霧の為、西兵(大垣)我が兵の迫るを知らず、咫尺の間に至り我が砲声に驚き狼狽して走る、夜におよび長州、松代の兵来り援け、東軍奮戦天明に至りしも衆寡敵せず、ついに土ヶ谷に退く〔河井継之助〕。

六月十五日朱雀四番士中隊福井村胸壁に據り昼夜砲戦息まず〔西記〕。

 六月十九日、米澤、新発田の兵八小隊大口に進みて激戦数刻ついに西軍を川辺(大口の西半里弱に在り)方面に撃退し西軍死傷多し〔河井継之助伝〕。

 六月二十日これより先、仙、米の兵、橡尾に来り相議して攻守の部署を定め、我が遊撃隊は長岡兵と共に土ヶ谷方面の敵を攻撃せんとし、米澤兵と交替し、この日荷頃村は山間の僻地にて不便なるを以て陣を橡尾に移す〔西記〕。

 六月二十一日軍を進めんとして偵察すれば、西兵は要衝に據り砲台を数所に築きたり、故に兵を失うこと多からんことを慮り、再議して長岡兵は土ヶ谷を守り、米澤兵は森立峠に占拠して攻勢を取り、遊撃隊、衝鋒隊、仙、米、長岡の兵は進んで半蔵金村の西兵を撃攘せんとし、亥の刻頃諸隊橡尾を発し森上村(半蔵金の東北北半里許の所に在り)に至る、橡尾を距る二里半許なり〔西記〕。






卷六 越後方面の戦  会津戊辰戦史2
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  1. 2013/03/07(木) 11:22:40|
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