いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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十四  島津三郎の入京およびその建議      『京都守護職始末1』

 流言飛語止まず     これよりさきに、朝廷はしばしば島津三郎を召したが、この月(三月)十四日、突如として上京した。しかし、三郎への守護職内命の流言飛語がまだ止まないで、長州人と浮浪の徒は大いにおどろき、百方過激の堂上に入説して、これに反対した。
 三郎は、中川宮、鷹司殿下らに拝謁して、「今日は伏蔵ないところを言上仕り候につき、忌諱や嫌疑などは御宥捨願い奉り候」と前置きして、左の建議を行なった。

一 攘夷の御決議軽率の儀、然るべからざると。

一 後見、総裁を奴僕のごとく御対偶あって、浮浪藩士の暴説を信ぜられるのは、最も然るべからず。かつ、御膝下において法外の儀これあり候を、そのままに召し置かれ候儀は、朝憲、幕令も行なわれざる姿にて、ただ乱世の基と嘆息に堪えず候事。

一 右につき、暴説を信用の堂上方は、すみやかに御退け、浮浪藩士の暴説家は、幕府より所置あるべき事。

一 宮(中川宮)、前関白(近衛前殿下)、中山、正親町三条等、以前のごとく御委任の事。

一 天下の大政は、征夷大将軍へ御委任の事。

一 長州父子の所存を、後見より質問あるべき事。

一 御親兵一条の事。

一 無用の諸大名、藩士はすべて帰国さすべき事。

一 主命のほかは藩士へ御面会御無用の事。浮浪はとりわけ然るべからざる事。

一 主家亡命の者を御信用は然るべからざる事。

一 英国の一条、諸外国の一条。

一 神宮御守衛として、親王方をさしつかわされ候はもっとも然るべからざる事。これは近国の大名へ命ぜられて至当の事。

一 浮浪藩士の心底よく御勘弁これありたき事。

 
 ほかに国事係、参政の廃止の件もあったと言う。要するに以上の数件のその論旨は、公武一和にほかならず、当時の京師のありさまがどのようであったか、これでわかるであろう。
 三郎は、在京十数日で帰国した。豊信朝臣、宗城朝臣ら公武一和の有力者も、次々に帰国して、わが公を助けて、衰勢を挽回することに力をつくすものは、ただ慶勝、慶喜の二卿あるのみとなった。

 



 将軍天盃を賜う     四月二日、将軍が召しによって参内した。徳川慶勝卿と、後見、守護の両職がこれに従った。
 聖上は小御所に出御あって、将軍家を召し、天盃と寮の御馬を賜わった。そのあとで、慶勝卿、慶喜卿およびわが公へも、酒饌を賜わり、重ねて将軍家を御学問所に召され、御内宴を開かせられ、御饌の陪食を命ぜられ、かしこくも数献の天盃を賜わり、従容閑話夜におよび、眷遇もっとも優渥をきわめた。駕に従う一同にも、酒饌を賜わった。将軍家は、この恩遇に感喜して、時のうつるのも知らなかった。
 過激の堂上はこれをみて悦ばず、目くばせをし、耳語してささやきかわしていた。
 中川宮がひそかにわが公に告げて言うには「聖上の本日の将軍への眷遇は前古に比類がない。おそらくは、他の嫉妬を招くであろう。よろしくその帰途に備えられたい」とのことであった。
 公はそこで、家臣の小室当節をわが営に帰して兵をひきつれ、禁門から二条城までの要所、要所に配備して、万一に備えた。ようやく初更になって、将軍家は退朝されたが、わが兵が所々に厳然とひかえているのを見て、旗本らは、はなはだこれをあやしんだ。ごく秘密のうちに事をはこんだので、旗本の輩はこれを知らなかったのである。後になって、この日宮中で、将軍をひそかにねらう謀計をめぐらす者のあったことをきいて、中川宮の言が偶然ではないことを知った。
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2012/10/31(水) 12:04:15|
  2. 京都守護職始末1
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