いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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河井の死(長岡及び其の付近の戦)

河井の死(長岡及び其の付近の戦)

 河井は八月四日吉ヶ平を発し、藩士数十人医師二人これに従い、この夜山中に宿し五日会津只見村(南会津郡伊北村に在り)に至る、創ますます劇しく、しばらくここに滞在す、時に旧幕府の侍医松本良順(後、順と称す、陸軍々医総監となり勲功により男爵に叙せらる)、我が公の依頼に由り来り診す、八月十三日河井は良順の勧めに従い、会津に至らんとし鹽澤村(只見の東北北一里半)に至り医師矢澤某の家に宿す、十五日の夜、河井死期の迫るを知り、僕松蔵を呼びて身後の事を命じ、且つ火化の準備を為さしめ、十六日夜、ついに冥す享年四十二、飛報若松に達するや城中挙って悼惜し、二公特に禮を厚うし、若松の建福寺(当時長岡侯の館せし所にて若松の東南郊外に在り)に葬る、我が公以下文武の重臣会葬し、その式壮厳を極む、翌明治二年九月長岡栄凉寺の先塋に移葬す〔河井継之助伝〕。





卷六 越後方面の戦  会津戊辰戦史2
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/03/13(水) 14:55:43|
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