いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

新潟の戦(長岡及び其の付近の戦)

新潟の戦(長岡及び其の付近の戦)

 これより先、七月二十六日新潟に進みし西軍は、壘を本所(阿賀野川河口の南一里半左岸に在り)の対岸に築き阿賀野川を隔てゝ東軍(会津、米澤)と砲戦す、すでにして西軍(薩、長、高鍋)阿賀野川の下流を渡り海老ヶ瀬(本所の西北半里強)より東軍を横撃す、東軍支ふる能はず退いて寺山新田(本所の西一里強)に防ぎ、ついに新潟に退く、西軍これを追撃し、正午沼垂に至り信濃川を隔てゝ戦う、二十七日西軍海陸並び進んで新潟を砲撃す、東軍は海岸砲台より大砲を発し摂津鑑の船舷を貫く、会々丁卯鑑来り援け摂津鑑は松ヶ崎に退く、二十八日東軍の新潟を守る者我が兵、仙台、米澤の兵を合わせて六小隊に過ぎず、西軍は胸壁を沼垂に築き新潟を砲撃す、米澤の総督色部長門軍を督してこれを防ぐ、この日丑の下刻頃西軍沼垂を発す、長州の将奥平謙輔等潜に信濃川を渡り平島(所在不明)より東軍を横撃す、会々加茂の東軍急を聞き疾く馳せて二本松(所在不明)より敵背を衝かんとしたるが、西軍これを知り兵を発して、これを二本松に防ぐ、ゆえに新潟の東軍孤立し、徒に撒兵を以て出没苦戦すのみ、西軍摂津、丁卯、千別、の三鑑の声援を得てますます迫り、火を市店に放つ〔七年史〕、米澤の総督色部長門戦死し、残兵は三条を経て八十里越に退く〔米澤藩戊辰軍記、七年史、河井継之助伝〕。
この日我が軍事勤田中茂手木戦死す。






卷六 越後方面の戦  会津戊辰戦史2
スポンサーサイト

テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/03/14(木) 18:43:35|
  2. 会津戊辰戦争史2
  3. | トラックバック:0

トラックバック

トラックバック URL
http://igagurisiryoukan.blog.fc2.com/tb.php/175-19e98f8d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。