いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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熊倉の大捷(赤谷口の攻防)

熊倉の大捷(赤谷口の攻防)

 九月十一日、天明木曽方面の西軍は慶徳村(喜多方の西南半里強)より兵を分ちて小荒井に向い、中央および左翼の兵は合して小荒井より突撃し、一は鹽川の東軍を制し、一は熊倉を襲う、東軍銃を発せず静まりて戦機の熟するを待ちしが、頓がて町野主水は号令一下全体刀を揮って進み、柴太一郎、星恒之進もまた兵を率い刀を抜いて挺進す、恒之進西兵一人を斬り西兵辟易す、東軍勢に乗じ小田村街道、漆原街道、鹽川街道の三面より一斉に起こって合撃したれば西軍支えず大に敗れ、就中松代兵は多数の屍体兵器糧食をすてゝ走り、東軍は追撃して小田村に至る、日没するを以て軍を熊倉に収む。
 この役白虎一番寄合組隊もまた奮戦して功あり、また純義隊は敵軍熊倉に来襲の風聞に接して出兵したるが、敵兵忽然高柳(熊倉の南に在りて近し)に現れ熊倉の我が隊に向って発砲す、これにおいて我が兵大鹽川に沿い熊倉村北の墓地に撒兵して防戦す、すでにして我が諸隊進撃敵軍小田付に敗走するや、純義隊は追撃して小荒井に至り火を放ちて潜居せる越前兵四人を斬り、一人を擒にし日暮れ小沼村(熊倉の南に在りて近し)に退く〔西記、累及日録、星野胤国談、横山留総日記、戦死者名籍、安部井春蔭談、渋谷光信筆記〕。

同十二日東軍の諸隊を発し鹽川に至る。
同十四日諸隊夜半鹽川を発し若松城市の西方を廻り、十五日城南一堰村(若松の南一里弱)に至る。






卷六 越後方面の戦  会津戊辰戦史2
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/03/19(火) 16:53:54|
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