いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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十六  石清水行幸は真の叡慮でなかったこと     『京都守護職始末1』

 主上より宸翰     この月(四月)二十三日、主上は宸翰を中川宮に賜うた。その大意は、前月の石清水の行幸は、過激な公卿らが強いて奏請したので、御気分がわるかったにもかかわらず枉(ま)げて従われたものであった。それにまた、このごろ御親征の説があるのを聞かれ、これは決して叡慮ではないから、宮の御はからいで、この際、国事係、参政、寄人などを廃して、過激な朝議を一掃してほしいと御依頼あったということである。ああ、かしこくも恐れ多いことのきわみというべきである。

 



 償金問題再燃     五月二日に、尾(尾張藩主)、水(水戸藩主)両卿の書面が京都に着いて、関東で、英国に償金を払うことに議決したとの報があった。
      
英艦の一条につき、諸有司共、段々申し合せ候ところ、いったい生麦の事はまったく別事にこれあり、攘夷の応接と相混じ候ては、曲直名義の筋相立ち申さず候につき、英国へは償金をさしつかわし、しかるうえにて拒絶の談判に取りかかり候筈評決相成り申し候。償金の儀は、かねての見込みとは相違い仕り候えども、事情やむをえず、慶篤へかねて仰せいでらるるの御主意もこれあり、大樹よりも外夷所置ぶりの委任致され候ことにつき、臨機の取計い仕り候段はよろしく御推察下しおきなされ候よう願い上げ奉り候(四月二十八日付、関白殿下あて両卿連署)。
 




 実美卿一派怒る     ところが、殿下をはじめ、実美卿一派の人々は、大いに怒って、翌三日、幕府にむかって左の命をつたえた。

英夷が申し立ての償金の儀、尾張大納言、水戸中納言の取りはからいをもって叡聞ありし右償金の儀は、御許容あそばされ難き旨、先達て御沙汰の次第もこれあり候ところ、事情やむをえざる臨機の取りはからいとは申しながら、容易ならざる事柄にて、勅意に相背き候取扱い方、いかがとおぼしめされ候間、幕府の処置振り言上これあるべく候。かねて仰せいだされ候外夷拒絶の儀は、いよいよもって相違なく、叡慮を貫徹候べく、きっと応接これあり候よう御沙汰候事。

 右の厳命が関東に着くと、徳川慶篤卿は狼狽して、殿下に左の書を送った。

生麦の一件につき、償金を出し候筈にて、尾州をはじめ役々一同、評議仕り候ところ、京師においては、さし出し申さざる方よろしきとのおぼしめしにつき、償金は一円さし出し申さざるよう決定に相成り候間、この段よろしく仰せ立て下されられ候よう、願い奉り候。(五月七日付)
 




 慶勝卿へ詰問     五月十一日、将軍家は二条城にかえり、十八日、参内された。徳川慶勝卿、わが公、老中板倉勝静朝臣らがつき従い、摂津の海上の警備の模様をつぶさに上奏した。
 そのとき、伝議の両奏や国事参政などの諸公卿が、関東の攘夷決行の報(しらせ)がはかどらないわけを詰問した。
 それより以前(十六日)に、伝奏衆が慶勝卿に書を寄せて、外夷拒絶のことは、この月の十日を期限と約束したのに、いまだになんの報告もない、すみやかに催促するようにと言ってきていたので、この日の将軍家の参内をよい折とばかり迫ってきたものであった。慶勝卿が、それに答えて、すでに再三急使やって催促しているが、これ以上遅くなるようなら、将軍が急いで東下して決行することにすると言うと、諸公卿は、大樹の留るか去るかについては、今論議するにはおよばないと言って、それ以上追窮してこなかった。将軍家の東帰は、叡慮に添わないことであったので、その去留を朝廷で論議することができなかったからである。

 



 ついに償金を払う     翌二十には、江戸からの報告が京師にとどいて、償金三十万両を英国に支払ったことを告げた。わが公は、忠精朝臣、勝静朝臣らとともに参内してこのことを奏した。その大意は、

償金三十万両の儀は、決してつかわさぬようにと精々仰せくだされ候ところ、小笠原図書頭、一存をもって去る五月九日、横浜においてさしつかわし候儀、これまでも度々厚く御さし留め仰せくだされ候ところ、右の次第ゆえ、尊慮のほどなんとも恐れ入り、かつは不都合の儀あくまで承知仕り候えども、よくよくよんどころなきこととお察しあそばさるべく候。もっとも図書頭には少なからざる見込みもこれある由、申しおり候こと、かつは三港拒絶の応接は、去る八日、図書頭が応接に及ぶべきのところ、面会いたさず、それゆえ、書状残しおき申し候。
右は、関東より書状をもって申し越し候。


 わが公らは、前書に副書きして、

前件の次第は、天朝に対して申訳これなく、なんとも深く恐入り候。このうえは、老中が帰府して応接致し候ても、とても及びがたく、大樹自身小田原駅までまかり越し、奸吏どもを相罰し、一橋、水戸らを呼びよせて、関東の情実をとくと聞きただし候うえにて、急速に攘夷の成功を奏上いたすべく、なにぶんにも大樹自身の発向を相願い候事。

 



 わが公の嘆き     そもそも償金の件と通商拒絶の件とは別問題であって、彼に償うべき相当の義務があるならば、それを先に償ってから、拒絶の議を持ち出すべきである。過激な堂上たちが、これほどはっきりした理非も顧みないで、朝議であくまで償金を支払うことを幕府に許さないので、その結果は、長行朝臣らに、違勅の処置にでるほかない仕儀にいたらせた。
 事がここまできては、わが公らも、公武一和を謀るには、過激堂上をしりぞけるよりほかに道のないことを嘆くばかりであった。
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2012/10/31(水) 17:53:25|
  2. 京都守護職始末1
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