いがぐり史料館

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石間の戦(全軍退却)

石間の戦(全軍退却)

 八月十一日辰の刻頃西兵大挙攻撃す、朱雀四番士中隊付属隊これに応じて猛撃す、未の刻頃西兵寶珠山に連なる山地を過ぎ小松関門近傍に迫り小松村前方と山上とより我が関門を横撃す、我が兵殊死して戦い諸隊多く死傷す、朱雀二番寄合組隊もまた西軍の為、山上より俯撃せられ、ついに支えず退いて石間関門に至る、町野主水衆に向い大声呼んでいわく、佐川氏、なればかくの如き戦に退却せざるべし、余独り進んで死せんと、たまたま流弾に当りて微傷を負う、衆これに励まされ皆止まって防戦す、総督一瀬要人は陣頭に立ち自ら銃を執って射撃す、我が軍ついに利あらず〔西記、累及日録〕、一瀬総督いわく、余はここに止まって死すべし全軍退却せよと、軍事奉行日向左傳諌めていわく、総督の死生は三軍の士気に関すれば退いて後図を為せよ、左傳春秋高く前途国家に奉ずるの日幾ばくもなし、ここに止まりて難に殉ぜんと交々論争す、西兵ますます迫る、諸将校いわく、縦令一二の重臣止まりて死するも頽勢を回すべからず、むしろ退いて後図を為さんにはしかずと、ついに退軍す〔阿部井春蔭談〕

 八月十二日砲兵隊、結義隊は陣を阿賀野川前岸釣浜に移して険要に據る、時に小松関門すでに敗れ、朱雀四番士中隊、朱雀二番寄合組隊、鎮将隊、砲兵隊は退いて前日の退陣の白虎二番寄合組隊と共に石間関門の胸壁に據りて砲戦す〔結草録、横山留総日記〕。

 同十三日石間関門において砲戦す、鎮将隊砲兵多く死傷し砲手缺乏す、杉浦佐伯、砲兵指揮役兼軍目と為り石間関門に赴く〔結草録〕。

一瀬総督石間関門に至る〔結草録〕。

同十四日石間関門砲戦。
同十五日諸隊津川町に至り諸胸壁に據りて守る〔西記〕。

 この日已の刻頃赤谷口の東軍敗れ西兵中ノ澤に入るの報あり、すなわち朱雀四番士中隊付属隊修験隊をしてこれを援けしむ、諸兵石間を発し午の刻頃石戸に至る、会々代官本多四郎酒を贈りて兵士をねぎらう、すなわち村長の庭前に環鐓を以て樽葢を突き破りこれを酌む、時に西兵火を新谷に放ち、ここに留めるべからず、兵を返し徹宵行軍し途岡澤に至りて東方白し、本体付属隊川口に至る〔西記、累及日録〕。

 同十六日朱雀四番士中隊、付属隊修験隊は川口に至り要害を検し胸壁を築きてこれを守る、時に西兵すでに津川の前岸に迫り砲撃す、子の刻頃川口を退き天明谷澤に至り、諸隊集合して山河の形勢を検し胸壁を築きてこれを守る〔西記、累及日録、横山留総日記〕。






卷六 越後方面の戦  会津辰戦史2
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  1. 2013/03/23(土) 09:49:59|
  2. 会津戊辰戦争史2
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