いがぐり史料館

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五十島の戦(全軍退却)

五十島の戦(全軍退却)

 同十八日早天西兵阿賀野川の前岸岩屋村に至る、朱雀四番士中隊および付属隊は五十島の南端小丘の樹林に潜み、西兵前岸崖下を過ぐるを待ち、一斉に狙撃したれば西兵狼狽道狭くして走る能はず、前後に乱奔し斃るゝ者数人、兵器弾薬を棄てゝ逃げる、東兵は山に登り堡壘を築きて成る頃西兵前岸の山上より射撃す、時に谷澤軍事局田中八郎兵衛急令を町野主水に伝えていわく、西兵すでに吉津に入りて火を放つ直ちに兵を収むべしと、町野は黒煙山後に起こるを見て将校を会し議して山間を退かんとしたるに、関場辰治いわく、敵勢ようやく衰ひ、すでに退かんとするに臨み兵を徹せば反って尾撃する所とならん、加之山谷路なき所を退くの困難言うべからず、よろしく本道に隊伍を整え徐ろに退くべし、もし敵に逢はゞ撃破して過ぎんのみ余等固より死を期す、路なき山谷は軍を行るの地にあらざるなりと、町野これに従い兵を収めて本道より退きしに果たして西兵の尾撃甚だ猛烈なり、小隊頭有賀圓治、半隊頭関場辰治、殿戦し黄昏谷澤に退く、西兵直ちに五十島に入り火を放つ、実は西兵吉津に入りしにあらず民家火を失したるを謬り信じたるに由れりと云う、ゆえを以て田中は軍事局の職を褫はる〔結草録、累及日録、横山留総日記〕。

 これより先、軍事奉行添役田中八郎兵衛は奇兵隊を率いて龍ヶ峰に在りたるが、糧食欠乏して戦うこと能はず、しばしば谷澤の本営に請うも給せられず、兵士皆飢えて戦うこと能はず、たまたま築城隊指図役阿部井壽太郎この状を目撃し、谷澤の本営に帰り一瀬総督に見えて詳に実況を陳べ急に糧食を給せんことを請う、総督は田中が戦はざるを悦ばず、阿部井いわく、田中は戦はざるにあらず兵士皆飢えて戦はんと欲するも能はざるなり、願わくば直ちに給するに糧食と酒とを以てせよと、総督これを容れ用所員高橋安太郎をして龍ヶ峰の軍に供給せしむ、因に田中軍事奉行添役を免ぜらるゝや柴太一郎その後任と為る〔安部井春蔭談〕。

八月十九日東軍諸隊方面の部署を定め、胸壁を築き日々砲戦昼夜を分たず。






卷六 越後方面の戦  会津辰戦史2
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/03/24(日) 09:46:44|
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