いがぐり史料館

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諸隊山三郷に向ふ(全軍退却)

諸隊山三郷に向ふ(全軍退却)

 八月二十八日巳の下刻、朱雀四番士中隊、並付属隊、砲兵隊、結義隊は高久を発し舟渡に至るや、山三郷館ノ原に向かうべしとの命あり、よって未の刻、諸隊共に路を只見川の東岸に取り、阿賀野川を渡り日没の頃館ノ原に至りて舟筏を収め戍兵を置く〔累及日録、横山留総日記〕。

 八月二十九日巳の刻、朱雀四番士中隊、並付属隊は朱雀二番寄合組隊と交替して中反村を経て新町に至りしが故ありて中反に返り陣す、夜に入り大雨、時に町野主水、関場辰治をして半隊を率いて徃いて一竿を守らしむ、二更中反を発し木曽、館ノ原を過ぐるや、西兵前岸より火光を認めて銃を放つ、すなわち炬火を滅して進み西海枝村に至りて天明け、すなわち一竿に至る、この地館ノ原の西方に在り、すこぶる要害の地なり、すなわち兵を分つて両処の渡口を守らしむ、西兵炊煙の揚るを見れば銃を発し、夜燈光を望めば又銃を放てり〔累及日録、横山留総日記、渋谷光信筆記〕。

 同晦日朱雀四番士中隊、並付属隊は中反に胸壁を築き戍兵を置き、砲兵隊は兵を高目村に進む〔横山留総日記、渋谷光信筆記〕。

 朱雀四番士中隊付属隊は一竿の渡頭を守る、隊兵塚越富吉は前岸の西兵が弾薬を運搬するを見て銃撃したれば西兵狼狽して走る、須□にして数途人の敵兵来りて射撃し我が兵応戦す、たまたま飛弾富吉の胸を貫きて死す、富吉は徳川家の世子小栗上野介の臣なり、上野介の死後富吉は佐藤福吉、佐藤銀次郎と共に去って会津に投ぜんとす、時に町野主水、越後魚沼郡浅貝駅に在り、富吉等徃いてこれに属し、嚮に三国峠、小出島に戦い、一ノ木戸に来り付属隊に加わる、富吉が妻は上野介の妻に従い会津に至り横山主税の家に寓せりと云う〔累及日録〕。

 九月朔日巳の刻頃朱雀四番士中隊および付属隊は共に中反を発し、未の刻頃小綱木に至り戍兵を置く〔横山留日記〕、砲兵隊高目付滞陣〔渋谷光信筆記〕。

 朱雀四番士中隊付属隊は一竿の渡頭を渡る、午後に至り砲声北方の山背に起こる、しばらくして軍目篠田勝之助馳せ来り退却の令を伝えければ、兵を収めて木曽村に至る〔累及日録〕。






卷六 越後方面の戦  会津辰戦史2
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  1. 2013/03/25(月) 12:51:52|
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