いがぐり史料館

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堂目付の戦(全軍退却)

堂目付の戦(全軍退却)

 九月三日早暁砲兵隊山を守りて堂目付背後の山地に至り西兵を襲撃す、西兵応戦し大兵すなわち我が軍を囲み、まさに帰路を絶たんとし、且つ衆寡敵せず兵を高目村に返へさんとし大船澤に至れば、眞ヶ澤の方位に砲声の烈しきを聞きしを以てこれを援けんと欲して軍を返す、未だ至らざるに朱雀四番士中隊利なく退却し来るに逢い、共に中原村に次す、この夜一門司令官黒河内新六館ノ原の本営に至り援を乞う〔渋谷光信筆記〕。

朱雀四番士中隊付属隊、間ノ峠絶頂の胸壁を守る〔横山留総日記〕。

 同四日砲兵隊は堂山村に至り壘を山径に築いてこれを守る、館ノ原本営より長岡兵百人を遣わしこれを援けしむ〔渋谷光信筆記〕、朱雀四番士中隊付属隊、間ノ峠を守る〔横山留総日記〕、館ノ原、木曽方面守を失い未の刻頃退却し夜に入り藤澤村に次す〔累及日録〕。

 前日来館ノ原に在りし朱雀二番寄合組隊は姥石山に陣し、また大鳥圭介軍は鹽川より来りて陣ヶ峰の山下に在り、この日敵の大軍大鳥軍を襲うや、大鳥軍より援を西郷隊に乞いたるにより、笹沼金次郎をして一隊を率い徃いて援けしむ、大鳥軍は初め小捷を得しも、ついに潰散し小田付の遁る〔西記〕。

 九月五日辰の刻を過ぐる頃朱雀四番士中隊および付属隊藤澤を発し正午一合村に至り、本体は一合より半里許西方の嶺上を守り、付属隊は左翼と為り狢森を守る〔累及日録〕。

この日、朱雀四番士中隊医師武藤英淳、小田付病院に自尽す。

{英淳少うして気節あり、医術を兒島宗設に学び経史を杉原外之助に学ぶ、会と北海道に祗役し、しばしば時言を建言す、戊辰の戦起こるに及び本体に属して越後に在り、英淳容貌魁偉深目大口にして資生忠直なり、五十島の役谷澤軍事局は流言を信じ、思えらく西兵吉津に入り我が後を絶つと、急に諸将校に令して兵を収めしむ、英淳これを聞き憤怒していわく、怯懦輩ほとんど国事に誤ると、すなわち軍事局に至り大声に言っていわく、兵の進退は国家安危の係る所なり、よろしく慎重ならざるべからず、しかり今卿等軽しく流言を信じて兵を収めしむ、谷澤以西はまた我が有にあらず、境土日に迫り大事去れり、卿等のごときは何ぞ速に死せぞるかと、聞く者悚然たり、ある人耳に附けていわく、願わくば少しく声を低うせよと、英淳いわく、音吐の大なるは天性なりと、秋八月班を進められ侍医と為る、すでにして我が軍連戦利あらず、英淳また時事の為すべからざるを知り、邑に帰り親族故旧を集めて訣飲し、従容薬を仰いで死せり時に年五十一〔累及日録〕。}

九月六日砲兵隊堂山村を守る、木曽の我が軍敗るゝを以て藤澤村に退く〔渋谷光信記〕。

同七日砲兵隊陣を一合に移し、朱雀四番士中隊と共に山上の二道に備ふ〔渋谷光信記〕。

館ノ原を守れる新遊撃隊は小布直ちに追跡して船岡に迫る、隊士坂井源八郎西兵一人を斃す〔西記〕。

同八日木曽守を失い西兵小布瀬原に迫らんとす、よって朱雀四番士中隊並付属隊は一合を退き宮在家を経て総座松峠を守る〔累及日録、横山留総日記〕。

同九日砲兵隊三軒茶屋を守る〔渋谷光信筆記〕。






卷六 越後方面の戦  会津辰戦史2
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  1. 2013/03/26(火) 12:23:14|
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