いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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諸侯客兵の来去

諸侯客兵の来去

 松平定敬朝臣は従臣数百人を率いて難を越後柏崎の封地に避けたりしが、後我が封内津川に移り、越後敗るゝに及びて若松に入り郭内輿徳寺に宿営せられ、前閣老板倉勝静朝臣は伏見の戦後本国に帰ることを得ず、その子と共に経て野州に入り、一旦西軍に自首して降りたるも、東軍宇都宮に入るに及びこれに身を寄せ以て若松に来り、徳山四郎衛門また安井八郎と称し天寧寺町淨光寺に宿営せられ、前閣老小笠原長行朝臣も家臣を従い白河の間道より会津に来り托し、三好寛助、山中静王、津毛魯輔などゝ変名し徒ノ町薬圓に宿営せられ、長岡藩主牧野忠訓朝臣は国陥るに及び老侯及び家族従臣と共に間行八十里越を経て会津に入り、郊外青木村建副寺に宿営せられ、阿部葆眞侯(棚倉城主正耆退隠後の称)父子は徒ノ町願成就寺に宿営せらる、その他上総請西藩主林昌之助主等の諸侯並びに竹中丹後守も前後来り投ず、貫義隊長松平兵庫頭、草風隊長天野花蔭もまた兵を率いて若松に来る、しかして大鳥圭介軍、古屋佐久左衛門軍および水戸兵の来去に就ては別に記する所のごとし、その他諸藩客兵は、あるいは単身、あるいは団結して一時会津に来る者すこぶる多かりしが、六月中、輪王寺宮の若松に来り尋いで白石に移らるゝや板倉、阿部諸侯は前後白石に入り、松平定敬朝臣は敵若松城下に侵入するに至り、別を我が公に告げて米澤に入る、その後奥羽の形勢不利に陥り、仙台藩西軍に降るに及び松平、板倉、小笠原諸侯並びに竹中氏は大鳥圭介隊と共に函館に航し、長岡侯父子は米澤において西軍に降りる、客兵もまた散亡し多くは告げずして去る、独り天野花蔭の率いる草風隊、天野電四郎の率いたる伝習隊の一部は我が軍と共に孤城を死守し、開城におよび慇懃に告別流涕して去れり〔松平家譜、徳川慶喜公伝、大鳥圭介伝、河井継之助伝〕。





卷七 会津の形勢  会津辰戦史2
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/03/29(金) 15:52:33|
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