いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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我が公瀧澤村に向ふ

我が公瀧澤村に向ふ

 敵軍猪苗代に侵入するの報達するや、この日午の下刻、我が公自ら馬を進めて士気を鼓舞せんと鶴ヶ城本丸を出て瀧澤村に向かう、佐川官兵衛先駆たり、大目付竹村助兵衛、軍事奉行黒河内式部、一柳翁介、用人笹原源之助、奏者番兼小姓頭山崎代之進、供番頭城取新九郎、刀番和田伝蔵、野村甚兵衛等随行し、白虎二番士中隊中隊頭日向左内記は隊士を率いて御衛し、市中警衛藤澤内蔵丞は守衛兵を率いて列後に従う、我が公の出陣を聞き、または日輪の馬標を見て馳せ来り従う者多し、我が公瀧澤村を本営とす、すでにして藩相田中大海来り従う、桑名侯松平定敬朝臣もまた兵を率いて来り会す、長岡藩兵、飯野藩兵来り属する者およそ四十人なり〔若松記、七年史〕。

 白虎二番士中隊中隊頭日向内記は隊兵を率いて申の刻、大野原に至り丘陵の要地を守り、奇勝隊頭上田新八郎(学太輔長男二十)隊兵を率い十六橋に向かう、誠志隊小隊頭樋口友衛等兵を率い胸壁を戸の口原、強清水、大野原に築く、藤澤内蔵丞は役夫を督してこれに従へ、郡奉行牧原奇平は代官属吏を督し糧食役夫を提供す。

 小原信之助敢死隊四十人、坂内八三郎奇勝隊八十人を率いて赤井村笹山村方面を守る〔若松記、七年史〕。

 城中に集まる者にして老幼は城中に止め、壮年者は瀧澤見村の本営に赴かしむ、すなわちにして本営に集まる者八十余人、これを遊軍隊と称し、隊頭小池繁次郎、組頭浅羽忠之助、同安藤物集馬これを率い、笹山方面の兵を援く、その兵多くは刀槍を携え、しかして銃を執る者少し、郡奉行入江庄兵衛赤井村小坂に出て部下を督して糧食を諸隊に供給す〔若松記〕。

 この夜、藩相田中大海は瀧澤村の本営に留まり、佐川官兵衛先鋒総督と為り強清水村に出でゝ兵を督す、奏者番山崎代之進、神戸内蔵親衛の徒士を率いてこれに加わり、白虎隊士と共に戸の口原の左側に露営す、時に秋雨しきりに至り光景転た蕭条たり、諸隊処々に篝火を焚き夜を徹して胸壁を築く、奇勝隊は十六湖畔に陣し、石橋を徹して敵の侵入を防がんと欲するも堅牢にして容易に破壊するを得ず、わずかに石材を徹するのみ、西軍暁に猪苗代を発し先鋒の土州兵、大垣兵は戸の口村背後の丘陵に據り、我が軍と数百歩を隔てゝ相対す〔若松記、七年史、続国史略後篇〕






卷八 会津城下の戦 其一 自八月十九日 至八月二十四日
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  1. 2013/04/01(月) 10:51:09|
  2. 会津戊辰戦争史2
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