いがぐり史料館
大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。
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蚕養口の戦
蚕養口の戦
これより先、二十二日午の刻頃萱野権兵衛は、城を出て幌役諏訪数馬等数人を従い猪苗代に至り、敗兵を収め猪苗代城に據らんとし進みて大寺に至る、敗兵来り告げていわく、城代高橋権太輔火を放ちて退くと、時に軍事奉行副役松澤水右衛門等城中より来り、桑名藩立見鑑三郎、雷神隊、大砲隊等二百人余人を率い永岡権之助、原八四郎を嚮導として来り会す、これにおいて相議して大寺の前方に胸壁を築き桑名兵最も力を尽くして守備す、この夜郡奉行古川幸之進部下を率い桑名兵と共に日橋を焼きて西軍を防ぎたるが、二十三日暁に至り戸ノ口、大野原の方位に当り砲声雷の如く轟き、次第に若松に近づくを聞き、幸之進馳せ来り急報していわく、敵軍すでに城下に迫れり返り戦うて城に入るべしと、権兵衛すなわち起って蚕養口に進む、時に未の刻なり、西軍すでに蚕養國神社に據って戦う、先鋒桑名雷神隊奮戦これを破り進んで市街に入り、兵を分ちて蚕養國社に備ふ、西兵瀧澤町、博労町に據り銃甚だ烈し、我が先鋒少しく蚕養口の方に退きて瀧澤口の西兵と合するを待ちて撃たんとす、立見いわく、不可なり分隊も共に進むにしかずと、兵を集めて東六日町に戦う、西兵は妙法寺の墓石、市家の樓上または土蔵等に隠顕して乱射し、あたかも雨のごとし、立見等の諸将勇敢にして能く兵を指揮す、たまたま砲二門転倒して発射するを得ず、立見は戦の利あらざるを知り、申の下刻蚕養國神社に退き兵を収めて塩川に至りしが、藩主松平定敬朝臣すでに米澤に赴くと聞き立見等また米澤に赴く、しかして萱野権兵衛は兵を率いて高久駅に移る〔若松記、七年史〕。
第二砲兵隊頭千葉権助、青龍寄合組隊中隊頭小野田雄之助は東方楊枝山潟を守しが、城下の急を聞き各兵を収め倶に原村の前方に会していわく、直ちに兵を進めて敵の背後を衝かんと、議未だ決せざるに小野田の斥候帰りて西軍鶴ヶ城に迫ると報ず、これにおいて両隊冬坂を越え院内村に至る、時に未の上刻なり、それより天寧寺町に入り酒店宮森の前に至れば酒樽を路傍に並べこれに柄杓を添ふ、皆喜びてこれを飲み勇気勃々馳せて天寧寺町口門を入り、本一ノ丁井深邸前に至り西兵に逢い連発これに応戦す、小野田隊は春日佐久良宅の角より本二ノ丁に陣せる西兵と戦いたるが我が軍利あらず、すなわち路を転じて両隊小田垣を経て三ノ丸不明門より入らんとしたるに、城兵はこれを敵兵と誤認したるにより、先鋒の兵大に呼んでいわく、会津兵なりと、すなわち城に入ることを得たり、時に山崎小助守兵を総督して埋門に在りたるが、両隊の来るを見て大に悦び、城兵皆生色あり、権助、雄之助は直ちに黒金門に於いて我が公に謁見せり〔若松記、七年史〕。
第一砲兵隊頭小原宇右衛門は兵を率いて御霊櫃峠を守しが、二十二日巳の上刻頃石筵の敗報を聞き、三番分隊の安達郡只野村に在る者を召還し御霊櫃峠に集め猪苗代の我が軍を助けんとして峠を下りし折柄猪苗代の兵火天を焦がすを望見す、戍の刻頃浜路に至り全軍の方向を議す、あるいは猪苗代の敵兵を撃つべしと云う者あり、あるいは十六橋の我が軍を援くべしと云う者ありて議論紛然たり、時に敵軍戸ノ口に向かうの報ありたるにより兵を若松に引き揚ぐるに決し、この日黎明浜路を発し卯の刻頃副良に至る、斥候帰り報じていわく、我が軍敵を戸ノ口に防ぐと、よって戸ノ口の我が軍を援けんとし他の諸隊もまた来り集まる、共に進んで黒森峠に上る、たまたま篠田蔀若松より来るに逢ういわく、敵兵すでに大野原に迫ると、全軍奮激して峠を下り原駅に至る、西軍本道を塞くと聞き、山径を越えんとしたるも大砲輜重未だ至らず、宇右衛門は加籐庫太郎、元木豊吉を此に留め全軍進んで山径に入る、時に連日の秋雨にて深泥脛を没して歩行すこぶる悩む、しかれども衆皆奮進して冬坂に上ぼり、俯して城下を望めば兵火大に起こり、砲声地に震い光景転た凄慘たり、衆皆切歯して嶺を下り、猿鼻に屯し共に難に殉せんことを誓う、それより院内村に至り申の上刻頃天寧寺町に入る、宇右衛門衆に先ち鞭を挙げて令していわく、死して君恩に報ゆるは今日に在り、進め中隊と、その声に応じて突撃する者百余人まさに郭門に入らんとす、西兵(土州兵)郭門の左右の土堀に據りてこれを拒ぐ弾丸雨のごとし、宇右衛門衆を励まし進んで郭門を奪い縦列を作りてばく進し、本一ノ丁より城に入らんとす、西兵本二ノ丁の角又は田中邸、三宅邸に隠れて乱射す、宇右衛門進んで神保原に至り弾丸に当りて斃れる、弟魁(いさお)馳せてこれを助く、また弾丸に当りて斃れ士卒死傷相継ぐ、隊兵大塚録四郎時に十八歳なるが宇右衛門を介錯し、その首を携えて城門(三ノ丸埋門)に入る、我が公召し見てその勇を賞し直ちに陞せて士中一ノ寄合と為す(若年寄、七年史)。
卷八
会津城下の戦
其一 自八月十九日 至八月二十四日
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歴史関係書籍覚書
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本・雑誌
2013/04/05(金) 10:09:50
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会津戊辰戦争史2
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