いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

内藤陣将等の入城

内藤陣将等の入城

 八月二十五日早朝湯本に在りし総督陣将内藤介右衛門、西軍を北に誘いその虚に乗じて小田山麓の高地を経て城に入らんと欲し、会義隊頭野田進、二番新隊頭坂平三郎をして兵を進めて天寧寺、正法寺に據りて敵を誘はしむ、敵兵果して天寧寺町愛宕路に進みてしきりに発射す、我が軍更に会津隊に属せる水戸兵二十六人を山上に登らしめ、疑兵を張り銃を発して進撃の状を為したれば敵兵次第に加わる、介右衛門は機すでに熟するを見て疾駆の令を下し、吶喊一声大河の決するが如し、一番鈴木義登隊、二番杉浦丈右衛門隊、三番有泉壽彦隊、その他相ついで小田村に至る、西軍の伏兵三四十人起って我が兵の不異を撃つ、杉浦丈右衛門正奇隊を率い山上に登りて血戦す、西兵ついに湯川の北に走り川を隔て射撃し、我が正奇隊小隊頭両角大三は寶積寺門前に戦死す、同半隊頭岡村式武兵衛の隊、松田英之助の猟師隊等先駆して新橋を渡りて城に入り後陣もまた渡らんとしたる折柄西兵は小田町より我が兵に発砲したれば我が兵路を転じて下流を渉り、不明門あるいは天神口より三ノ丸に入る、野田、坂の二隊は全軍城に入るの時機方に至るを察し兵を収めて小田山を経て青木村より入城す、この日全軍些少の損害を以て城に入ることを得たるは、茶道草刈春哲が予め命を受けて出城し、介右衛門に逢うて城内外の戦況を報じ全軍の方略をして機敏ならしむるを得たると、野田隊、坂隊の兵士が身命を顧みず勇戦したるとに由れり、二公三ノ丸に出て懇に将士の功労を賞し、野田隊、坂隊の兵を士中に陞せ、特に会津隊士内藤勇五郎を抜擢して隊長助勤と為す、ついで青龍一番士中隊中隊頭木本内蔵之丞隊士六十九人を率いて入城し、また青龍三番足軽隊は中隊頭日向彌志摩之を率い、湯本に放火し蘆野原口より退軍の途次水戸兵、飯野藩兵三十人を合し、暗夜に乗じ天神口より入城し、我が公に謁し三ノ丸不明口を守衛す、その他別選分隊組頭古田虎之丞以下十六人もまた入城して我が公に謁し豊岡を守衛す〔若松記、七年史〕





卷八 会津城下の戦 其二 自八月二十五日 至八月二十九日

スポンサーサイト

テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/04/06(土) 09:38:14|
  2. 会津戊辰戦争史2
  3. | トラックバック:0

トラックバック

トラックバック URL
http://igagurisiryoukan.blog.fc2.com/tb.php/225-2fb9df99
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。