いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

穢多町進撃

穢多町進撃

 高久に在りし萱野権兵衛、山内遊翁の一隊は、この日城中に入らんと欲し、早朝穢多町に進軍せるが、この地を守備せる長州、大垣兵に土州兵応援して防ぎ戦い衆寡敵せず、再び高久に退陣す、時に古屋佐久左衛門、大庭恭平等は衝鋒隊を率いて高久に来り、萱野陣将に面し、共に直ちに再び進撃せんことを勧む、権兵衛いわく、我が兵疲れて用ふべからずと、しかも佐久左衛門勧めて止まず、これにおいて山内遊翁隊および長岡の兵百余人をしてこれを援けしむることゝし、午の刻頃全軍四百余人衝鋒隊を二分し、古屋佐久左衛門は一隊を率いて穢多町口よりし、大庭恭平は一隊を率いて長命寺の背後よりし、長岡兵は北方よりし、各隊決死奮闘したれば長州、大垣の兵は、まさに崩れんとす、会々、土、薩の兵来り援け、我が軍ついに抜くこと能はず、衝鋒隊二番指揮役大岩元四郎、会計方手代木元助、石川太祖右衛門(三人は、我が隊士にして、衝鋒隊に付属を命ぜられたるなり)戦死し歩兵の死傷する者七十人なり、これにおいて兵を高久に収む〔若松記、七年史、大庭恭平書出〕、独り大庭恭平は衝鋒隊を率いて城に入り、黒金門に至り二公に謁す、我が公古屋佐久左衛門に手書を賜い、将士に酒饌を賜う〔大庭恭平書出〕。





卷八 会津城下の戦 其二 自八月二十五日 至八月二十九日

スポンサーサイト

テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/04/06(土) 10:19:49|
  2. 会津戊辰戦争史2
  3. | トラックバック:0

トラックバック

トラックバック URL
http://igagurisiryoukan.blog.fc2.com/tb.php/227-3257aeb7
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。