いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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堀久米之助米澤に使す

堀久米之助米澤に使す

 八月晦日飯寺村に在りし青龍足軽中隊頭日向彌志摩は軍事方に転任して本郷村に赴く、郭内諏訪社を守れる砲兵隊三番分隊は別選組隊と交替して材木町に至り本隊に合す、これより本営を材木町永寶市店に移し大法寺裏より柳原口に至るまで守兵を置きて巡邏を厳にす、これより城兵時々出て米塩薪炭を運搬し、しかして村民蔬菜果物魚鳥を負擔して城に納るゝ者陸続きとして絶えず、この日より九月五日に至るまで西軍は兵を進めず城兵もまた出てず相対持して砲撃するのみ〔若松記、自警編、続国史略後篇〕。

 九月朔日町野伊左衛門は二ノ丸兵粮方主任となる、別選組隊々頭三坂数之丞、砲兵隊と交替して郭内を守る〔若松記〕

時に小田山上より榴弾を連射し本丸の炊事場より三ノ丸豊岡に物を運搬する能はず、よって二ノ丸東門に炊事場を設けて糧食を供給す〔若松記〕。

 九月二日、これより先、田中蔵人戦死し、この日長谷川勝太郎、朱雀二番士中隊中隊頭と為る、鈴木一郎右衛門隊に属せし杉浦丈右衛門隊の残兵を佐川官兵衛に属せしむ〔若松記〕。

 九月三日、飯田大次郎は水戸の市川三左衛門、朝比奈彌太郎、筧助太夫等の兵四百人を合し、津田範三を幌役とし簗瀬幸之祐、松本傅十郎これに属し、花畑門、南町門を下り米代四ノ丁栃木邸を屯営と為す〔津田範三筆記〕。

 九月四日材木町を守れる砲兵隊小林繁之助、木村四郎は北方に在り戦況を偵察し熊倉の戦に加わり、軍事方田中八郎兵衛に属し北方退却の時、小林謹吾と共に高田に至り本隊に合す、供番頭城取新九郎は猪苗代隊頭仮役と為り城を出て同隊の陣地高久に赴く、三井計之助は別選組隊組頭と為り、有賀齋宮は同隊寄合組隊組頭と為り城を出て郭内諏訪社を守る〔若松記〕。

 野村悌之助戦死により今夜神保内蔵助、青龍三番寄合組隊中隊頭と為り城を出て飯寺村の渡場を守る〔若松記〕。

 これより先、我が公、堀粂之助、吉村寅之進をして援を米澤藩に乞はしむ、二人潜に城を出て九月三日辛うじて米澤に至り、同藩相竹保美作に面して使命を致し、若松城の危急を説き援兵を乞い声涙倶に下る、この時に当たり米澤藩すでに西軍に降りるの意あれば言を左右に托して応ぜず、粂之助は寅之進に言っていわく、米澤藩の反覆鄙怯興に謀るに足らず、我ら使命を全うすること能はず、何の面目ありて郷人に見えん、共に自刃して死せんと、寅之助いわく、なお仙台藩の在るあり共に徃いて説くべしと、粂之助いわく、使命は唯米澤藩に止まる我徃くを欲せずと、慨然寅之進に別れ、この夜酒を酌み遺書を留め旅館の主人に金を遣わして死後の事を托し従容屠腹して死す年三十一、その辞世の歌にいわく、

神かけて誓ひしことのかなはすは
 ふたゝひ家路思はさりけり


 米澤藩その死を悼み遺骸を城下龍泉寺に葬り墓碣を建つ〔大日本人命辞書、会津会々報第八号〕。






卷八会津城下の戦 其三 自八月晦日 至九月二十四日
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/04/08(月) 10:53:01|
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