いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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諏訪社の戦

諏訪社の戦

 この日、城外に在りては西兵数百人桂林寺町口に進み来り溝畔より猛撃す、我が有賀隊これに応戦せしが敵三ノ丁より二ノ丁に進み来り、我が背後を襲わんとするを以て、三ノ丁および桂林寺町通角を守衛せる石山郷右衛門等諏訪社内本陣隊長の命を受くる猶予なく、二ノ丁に退却し御厩角において防戦す、これが為に堤防に築きたる三胸壓を守る兵士は背後に敵を受けて防ぐこと能はず皆諏訪社内に退く、同時に川原町口および融通寺町口の守兵も防戦の術なく退きて入城す、また米代一ノ丁の兵を指揮したる田中源之進もまた兵を挙げて城中に退く、これにおいて敵ますます進攻し、あるいは桂林寺町口より進出し、原田邸の西溝中に伏し、諏訪社の四面より激しく発砲す、有賀隊、遊撃隊悪戦苦闘すといえども衆寡敵せず乱丸の為に死傷すこぶる多し、小島理兵衛一計を按じ一隊の兵を率いて奮闘一方を切り抜け、二ノ丁佐瀬邸において短兵接戦ようやく突破して残兵を収拾して入城す、この激戦に有賀隊は中隊頭有賀総左衛門、小隊頭堀常彦、半隊頭西郷常之進を始め兵士二十二人戦死し十五人負傷す、遊撃隊は組頭安部井彦之助戦死し、同北村直衛負傷す、敵軍は宇都宮、黒羽、舘林、中津、備前、肥前、彦根、土州、芸州、大垣、太田原諸藩兵にして死傷すこぶる多し〔若松記〕。





卷八会津城下の戦 其三 自八月晦日 至九月二十四日
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  1. 2013/04/10(水) 10:58:36|
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