いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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鐘樓守の沈勇

鐘樓守の沈勇

 これより先、城中にはこの危急の時に当り鐘を撞き時を報ずるがごときは無益なりと云う者あり、津田範三これを聞き、昔三方原の役徳川勢敗退の時、梶原康政が大萬寺の鐘を撞きたるに、武田の将士これを聞き大萬寺には英雄の将在りと囲を解きて去りたるの故事を追想し、もしこれを止むれば三軍の士気を沮喪すること大なりとして廃鐘の説を難じ、しかして鐘樓の在る所は榴弾の集点にして鐘樓守は至って微賤の職なれどもその任や重し、日夜弾丸雨注の下に在り自若として事に従い少しも時を誤らざるは、その勇、その功賞せざるべからずと思惟し、範三は鐘樓に登り鐘樓の勇を賞揚激励し、尋いで山川大蔵に面し、その功労を賞せられんことを建議す、鐘樓守の名を百木多七、上野礒次郎と云う、磯次郎は鐘樓において弾丸に当りて死せり、後上野善治、佐藤常治、加藤庄助、上野圓之助これに従事す、上野善治、佐藤常治はその功労を賞せられて御通年割に班し、上野圓之助、百木多七、加藤庄助は年割と為る、しかも尚微賤の職たるに過ぎざりき〔若松記、猪苗代御人数取調帳〕。

 在竹四郎太は天主閣を守り最高の閣上に在りて敵軍の発射する榴弾の点数を算して一日二回黒金門に報告するを常とせり〔丸山幸之助、山室重明談〕。






卷八会津城下の戦 其三 自八月晦日 至九月二十四日
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/04/11(木) 09:29:22|
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