いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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城中の惨烈

城中の惨烈

 日蓮宗川原町大法寺の僧日海は二十三日守城以来日々天主閣に登り我が軍の戦捷を祈る、この日、敵の一斉砲撃に閣上破壊して危険を極むれども日海が読経の声は朗々として平生に異ならざりき。
 本丸の大書院小書院その他金の間等は皆蒲生氏の時建設するものにしてすこぶる宏壮なり、敵の囲みを受けしより、あるいは病室と為し、あるいは婦人小児を収容せり、戦酣なるにおよび病室はほとんど立錐の地なきに至り、手断ち、足砕けたる者満身糜爛したる者雑然として呻吟す、しかれども皆切歯扼腕敵と戦わんとするの状を為さゞる者なし、しかして西軍の砲撃ますます激烈なるにおよびては、榴弾は病室または婦人室に破裂して全身を粉韲せられ肉塊飛散して四壁に血痕を留むる者あり、その悲慘悽愴の光景名状すべからず〔古河末東所聞〕。

 善波猛の妹千代子はこの日二人の女子と共に、袴を穿ち白布を以て髪を捲き薙刀を携えて太鼓門を出でんとしたるを、津田範三これを見てどこに行くかと誰何したるに、三女は落城近きにあれば空しく弾丸に当たりて死せんよりは寧ろ敵陣を衝き死して君恩に報いたらんとするなりと答ふ、範三いわく、敵兵の所在遠くして機未だ熟せず、その城門に迫るを待ちて予もまた共に突撃すべしと慰諭して本丸に帰らしむ〔松のこほれは、若松記、津田範三筆記〕。

 この頃、照姫は奥殿の女中若年寄格表使大野瀬山(大野四郎五郎叔母)、御側格表使根津安尾(根津八太夫妹)等に命じ奥女中および傷病者の家族藩士の婦人等を指揮して看護と炊事とに従はしむ、夫人は皆照姫の誠意を礼し門閥の婦人に至るまで黒衣に白衣を重ね襷を掛け裙く掲け両刀を佩びてこれに従事し、その動作の勇壮なる男子に恥じざるの状在りき〔七年史、若松記〕、八月二十九日城外進撃の時は一日に百数十人の負傷者を出し、病室最も繁劇を極め繃帯に供する所の白布一時欠乏するに至れり、照姫は奥女中をして貴重の衣帯を出しこれを解きて、その白布を以て繃帯と為さしめ、あるいは傷病者の衣衾に充てしむ、ゆえに兵卒にして葵章の衣を着け、あるいは壮士にして婦人の美服を着くるに至り、三軍の将卒これを聞いて、その殊遇に感激し士気大に振へり〔村井弦齋筆記〕

 照姫の所為この如くなれば況やしてや奥女中は傷者ある毎に己の美服を供して惜しまず、あるいは終夜その傍を去らず、投薬より百般の看護に至るまで皆自ら奔走して労を厭わず、殊に旧幕府の歩兵あるいは他郷より来れる傷者は最もこれを憐れむ、ある人その故を問いたるに答えていわく、負傷者の我が国人は親戚知己の来りて慰むる者あれども、遠く故郷を去りて、ここに来り奮戦して傷を負う者は医師の外来り慰むる者なき故なりと、終始一日の如くなりき〔七年史〕。

 家老山川大蔵の妻とせ子姑妹等の入城後照姫を守護し、且つ傷病者を看護せしが、この日敵砲弾室内に破裂し、とせ子重傷を負う、しかも己の苦痛を忘れ、唯照姫の安否を問うのみ、すでにして姫慰問の使者に謝辞を述べ端然として瞑目せり〔殉節婦人の事蹟〕。

 板橋たつ子は妙齢にして奥殿に使えたる者なるが、この日榴弾雨のごとく来り城中安ぜず衆皆死を期せり、会々一兵の傷を負うて斃るゝ者あり、たつ子は瀬山と共に病室に伴はんとすれども婦人の力を能くせず、馳せて医師に告げ速に治療せんことを乞う、医師は砲撃の勢なるを畏れて躊躇したるに、たつ子怒りていわく、甲斐なき人々な
り縦令砲撃烈しくとも傷ざる者を顧みざるは医師の本分にあらざるべしと、これを促し医師の施術を助け鮮血袂裙を染めてこれに従事せり〔七年史〕。

 傷病者に給する食物は奥女中以下の婦人これに任じ、照姫自らこれを監督す、本丸の西隅に炊事場を設け婦人集合して水を汲む者、米を洗う者、飯を炊く者、各分業してこれを為す、炊事場には石竈十数箇を設置し精米を炊き(傷病者には特に精米の飯を輿へたり)、これを奥女中室に遞送し、若年寄格の女中等藩士の婦人を指揮して搏飯を製し、これに羹蔬魚肉鳥肉牛肉等を添い、これを盆に載せ表使女中先頭に立ち侍女二人これに従い、幾箇の縦列を作り整然序を追うて病室に運ぶを常としたり〔納富氏日記卷之三、丸山幸之助、山室重明談、村井弦齋筆記〕、一斉攻撃の前後には、飯を炊くこと昼夜を分たず、十数箇の石竈一刻も火を絶ちたることなかりき、その他の糧食は西出丸に炊事場を設けて炊きたり、これまた婦人の擔任する所なりき〔村井弦齋筆記〕。

 城中飛弾猛烈なりしかば男子は徒に死するを欲せず、弾丸の落下する毎にこれを避くるを常としたるが、婦人等は固より死を決し従容として弾丸を畏れず、毎に男子の弾丸を避くるを見て冷笑していわく、卿等は男子にして、なお弾丸を畏るゝかと〔丸山幸之助、山室重明談〕。

 立石悦之進の伯母某は城中に在り、悦之進かつて防戦の余暇これを訪へたるに叔母喜び悦之進に向かっていわく、汝が鬢髪甚だ乱る、このままにして死せば醜き様を後に残さん、古人香を○に留むるは注意の深きを知るべし、今我らの髪を結ばんとて櫛を執りて梳る折柄、榴弾落ちて爆裂し、距離近く音響猛烈なりしかば衆驚き起つ、悦之進も覚えず身を動かしたるに、叔母は自若として櫛を放たず何も驚く所なしと云いければ、悦之進深くこれを恥じて再び訪はざりき〔松のこほれは〕。

 遊撃隊小隊頭安部井彦之助は城外に進撃して負傷す、従者負うて城に入りたるが傷劇しくして本丸の病室を運ぶことを得ず、老母某城中に在りて、これを聞き来りて、これを視たるに、彦之助は恩愛の情に堪えず悲哀面に現る、老母顔色を正うして激していわく、君の為に死するは臣の分にして歴代の君恩に報ゆるゆえんなり、今汝の傷甚だしく余命幾何もなかるべし、我汝をして瞑目せしめんと自ら刀を執って介錯し、その遺骸を始末したれば、見る人皆その沈勇に驚かざる者なかりき〔松のこほれは、若松記〕。

 我が藩江戸邸に備ふる所の防火夫は江戸藩邸を徹するに当り従い来る者二十人あり、孤城囲を受くるに至り、皆城中に入りて力を尽くさんことを請いたれば、その志を嘉してこれを許し西出丸西北隅の樓櫓を之が屯営に充てたり、彼ら意気すこぶる勇壮砲声を聞けば屋上に登り、火の起こるを見れば水を注いでこれを消し、敵榴弾の未だ破裂せざるものあらば衣類を水に浸して之を包み冷却して我が用に供せり、大書院、小書院のごときは榴弾の来ること最も劇しく、守城三旬の間に落下せる弾丸幾百千なるを知らざれど火を起さゞりしは主として彼らが勇壮なる活動に由らざるはなし、開城の後彼らは悄然として城を出て江戸に帰れり、しかもついに彼らが多大の功労に報ゆること能はざりき〔海老名李昌談、沖津醇筆記〕。

 守城以来しばしば落下し来りし焼弾は径六寸許の圓弾に孔あり、これより火を噴出して殿屋を焼かんとし、水を注ぐも消滅せず、これにおいて衣類を以て、これを蔽いて水を注げばたちまち消滅す、奥殿に仕えし老女(奥女中の名称)、伊東牧野以下の侍女力を尽くして綿衣あるいは蒲圑の綿を出し毎に之を水中に浸し、この弾の落下する時は婦人等馳せ集まりて之を蔽いて消滅せしむるを常とし危険を感ぜざるに至れり〔七年史、若松記、内田藤八筆記〕。

 籠城中夜に入れば榴弾の中天に交錯するもの、あたかも秋空に蜻蛉の飛翔するがごとし、児童等慣れてこれも畏れず、常に屋外に出てこれを望み互いに叫んでいわく、今夜も蜻蛉多しと〔海老名李昌談〕。

 鶴城の名城なるは能く人の云う所なりしも多くは、その然るゆえんを知らず、包囲を受けし以来四方より連射する敵弾は雨のごとくなりしも城門に当るものは会てあらざりき、ゆえに人皆城門の近傍を以て攻囲中の楽地と為せり、実に築城の妙を極むと言うべし〔松のこほれは〕、ある人いわく、蒲生氏のこの城を築きし時は已に砲銃の伝わりし後なれば城門は外部に面して築きしに由れりと、けだし然らん〔藤澤正啓談〕。

 籠城の始めより黒金門外において弾丸を製造し、奉行樋口源治をして之を監督せしむ、城中の婦人は之を聞いて争って笄簪等を納めて原料に供せり、また鉛の城中にあるもの、あるいは城外各所より購入徴発したるもの、あるいは日々北追手および黒金門と西出丸との間に墜落する多くの鉛弾を拾い集め、老人等をして型鋳せしめ、パトロン(薬筒)を製するには、二ノ丸の文庫より二十一史等の唐本を出し、その紙を以て奥女中および婦人をして製作せしめたり、斯く上下一致孜々として日々弾丸一万二千発を製作し、開城の日に至るまで十九万余発を製作するに至れり〔村井弦齋筆記、海老名李昌談、橋爪晒齋談〕。

 守城三旬の間日々敵弾に斃るゝ者相続ぎ城中これを埋むる所なし、よって衣類にて遺骸を包み城中の乾井に投じたるが、充満するにおよび二ノ丸梨子畑に埋め、開城の後ことごとく之を収めて若松阿弥陀寺および長命寺に葬れり〔七年史、浅羽忠之助筆記、古河末東所聞〕。






卷八会津城下の戦 其三 自八月晦日 至九月二十四日
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  1. 2013/04/11(木) 09:30:26|
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