いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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雨屋村の戦

雨屋村の戦

 九月十七日辰の刻頃西兵一ノ堰に来り襲い、我が兵これに応じて奮闘す、砲兵隊組頭市岡守衛、白虎一番寄合組隊中隊頭望月辰太郎等各兵を率いて一ノ堰村の前方に進んで戦う、陣将は白虎隊に令して中野街道の敵に備へしむ、会々西方に当り砲声盛んに起こり、しかして西兵中野街道に来らず、望月は西方の我が軍を援けんとして市岡と謀り兵を一ノ堰村の方向に回へす、時に太田彦右衛門来り、望月に面し速に木本隊を援けよ機失うべからずと告げたれば、望月は直ちに兵を率いて馳せ附けし時は我が軍退却し、唯一ノ堰村の胸壁に僅少の玄武士中隊を留むるのみ、全軍陸続として退却し白虎隊もまた退却せんとしたるに、陣将諏訪は望月に令して大川川原に出て戦はしむ、白虎隊は弾丸雨のごとく下るを事ともせず皆敏捷に行動して能く射撃し、望月以下の将校もまた決死して戦う、会々諏訪勝吉来り令を伝えていわく、我が軍すでに弾薬尽きて戦う能はず、まさに城に入らんとす、白虎隊は鎮守ノ森に退却すべしと、望月すなわち兵を収めて鎮守ノ森に至らんとしたるに、我が軍鎮守ノ森より瓦解して面川、雨屋の方面に退却す、軍事官いかんともすること能はず〔望月辰太郎筆記〕、総督一瀬要人大声これを激励したれば砲兵隊その他の諸隊雨屋村薬師の堂下に占拠して西兵を遮り西兵進むこと能はず〔渋谷光信筆記〕、砲兵隊甲士馬場文蔵等澤田隊の兵を指揮し空渠に入りて応戦す、澤田隊中には日光より従い来れる僧徒ありて勇敢能く戦う〔星野胤国筆記〕、西兵の追撃急にして雨屋村に至る此弾丸我が軍に達せんとす、我が軍先なる者はすでに大川を渡りて前岸に達す、望月思えらく雨屋村薬師寺近傍の山上より射撃せしむるにしかずと、山路を登り中腹に至りて瞰望すれば西兵雨屋村の前方に進みしきりに射撃す、白虎隊半隊頭原四郎八、七連発の後装銃を執って俯撃し兵士もまた連発す、この地蔽遮物なく弾丸却下に達す、すなわち辛うじて峻坂を登り山上より俯撃せしめ、あるいは一斉射撃を為さしむ、西兵斃るゝ者数人、我が兵望見し喊声を発してますます猛撃し、また数人を斃す、朱雀二番寄合組隊、結義隊もまた山上に登りて白虎隊を援く、西軍ついに敗走す、山下に潜匿したる青龍三番士中隊、朱雀四番士中隊、砲兵隊、坂軍楽齋が兵等俄かに起こって之を追撃し雨屋村の前方に至る、会々白虎隊士江川次郎八、同隊付属森田辰之助傷を負う、我が軍捷を得たり、白虎隊は幌役の報に由り山を下り、後殿して夜大川を渡り亥の下刻頃朱雀二番寄合組隊と共に福永村に至る、陣将上田学太輔、諏訪伊助は諸将を列坐せしめ望月を見て感賞していわく、白虎隊今日の戦功はその指揮宜しきを得たるに由ると〔望月辰太郎筆記〕。
 




卷八会津城下の戦 其三 自八月晦日 至九月二十四日
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  1. 2013/04/12(金) 10:25:53|
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