いがぐり史料館

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寄合組白虎隊の勇戦

寄合組白虎隊の勇戦

 時に傷兵未だ豆田香鹽の間に在りと聞き、青龍三番士中隊小隊頭杉浦佐伯、同半隊頭田中直江、木田四郎、一瀬勘三郎等豆田に至り之を前岸小谷村に収容し天明の頃ことごとく終了す〔結草録〕。

 この役玄武士中隊中隊頭伊輿田図書、同小隊頭大石彌吾兵衛、朱雀四番士中隊小隊頭野村勝蔵、青龍三番士中隊半隊頭神戸民治、別楯寄合組隊指図役簗瀬悌治等戦死し、その他士卒の死傷する者多し。
 これより先、八月二十三日藩相内藤介右衛門の父可隠、その妻子臣僕および陣将上田八郎右衛門の父伊閑(介右衛門叔母の夫)の妻子と共に城に入らんとして至れば門すでに閉じて入ることを得ず、よってその菩提所なる面川村泰雲寺に赴き、敵もし来り迫らば共に自刃と覚悟せり、この日西兵一ノ堰村の我が軍を破りまさに此に来らんとす、可隠、伊閑と謀りいよいよ自刃の決心を為し介右衛門の妻簗瀬氏に言いていわく、介右衛門は城中に在り生死のほどは知り難し、汝は二子を携えて敵を避け、その消息を待つべしと、簗瀬氏悲泣して共に節に死せんことを請いしも可隠許さず、簗瀬氏止むことを得ず長男英馬、長女ひさ子を携え従者共に出でたるが路塞がりて行くこと能はず、再び寺に帰り共に死せんと請う、可隠これを許し先づ英馬(三歳)、秀子(六歳)を斬り、妻有泉氏(もと子五十六歳)、婦簗瀬氏(二十三歳)、妹じゆう子(二十三歳)、妹とく子(十九歳)、妹つく子(十七歳)、上田伊閑(六十一歳)、妻しげ子(介右衛門叔母五十八歳)、女じゆん子(三十歳)、孫ちゑ子(九歳)、妹みね子(五十六歳)と列坐し、遙かに鶴城を拝して自刃せり、一室の中鮮血淋漓たり、幼児英馬は口に菓子を含み莞爾として瞑目し寺内の人をして斷腸せしむ、内藤氏の家宰古川十兵衛(四十七歳)、従臣阿部重次郎(三十歳)、石野八四郎(三十一歳)、元木吉之助(三十五歳)等もまた自刃してこれに殉ず、僕富田喜千六はたまたま出でゝ戦況を探り、帰り来りてこの状を目撃し悲憤禁ずる能はず、葬祭の事を寺僧に托し、また自刃してこれに殉ぜり〔累及日録、若松記、七年史、会津会々報〕。

 九月十八日白虎寄合組隊は昨日の戦功を賞せられ、隊士は近習一ノ寄合席に昇進し、白虎二番士中隊と改称し、望月辰太郎その中隊頭たり〔望月辰太郎筆記〕。






卷八会津城下の戦 其三 自八月晦日 至九月二十四日
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  1. 2013/04/12(金) 12:26:42|
  2. 会津戊辰戦争史2
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