いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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開城

開城

 巳の刻を過ぐる頃、陣将梶原平馬、内藤介右衛門、軍事奉行添役秋月悌次郎、大目付清水作右衛門、目付野矢良助き礼服をと著け草履を穿ち城を出で甲賀町通の式場に至る、午の刻頃西軍の軍監中村半次郎、軍曹山縣小太郎、使番唯九十九は甲賀町に至る、秋月悌次郎は小白旗を持ち鈴木為輔、安藤熊之助を従い、慇懃出てこれを迎え、先ちて式場に導き重臣以下の名札を出し開陳していわく、

押付主人罷出御直に可申上先以私共儀為御出迎罷出候

 清水、野矢城中に入り出城の時期なるを報ず、二公礼服を着け小刀を佩ひ、草履を穿ち、太刀は袋に入れ侍臣をして之を持たしめ、家臣十人許礼服を着け脱刀して従う、式場に至り皆幕外に侍す、毛氈と○を敷く、軍監中村半次郎、軍曹山縣小太郎、使番唯九十九これに列す、二公立礼して恭しく降伏謝罪の書を総督府に上る〔浅羽忠之助筆記、七年史〕。

臣容保乍恐謹而奉言上候拙臣儀京都在職中乍蒙朝廷莫大之鴻恩万分之微衷も不奉報其内当正月中於伏見表暴動之一戦旨意行違候より不憚近畿奉驚天聴深く奉恐懼候爾来引続今日迄遂に奉抗敵王師僻土頑陋之過誤今更何共可申上様無御座候実に不容天地之大罪惜身に無処人民塗炭之苦を為受候次第全く臣容保之所致に候得は此上何様之大刑被仰付候共聊御恨不申上候臣子並に家来之死生偏奉仰天朝之聖断候但国民と婦女子共に至候而は元来無知無罪の義に候へは一統之御赦免被仰付候様伏而奉歎願候依之従来之諸兵器悉皆奉差上速に開城官軍御陣門に降伏奉謝罪候此上万一も王政復古出格之御憐愍を以て至仁之御寬典於被仰付而は冥加之至難有奉存候此段御総督府之執事迄冒萬死奉歎願候誠恐誠惶頓首再拝
 慶応四年九月二十二日 源容保謹上


 使番唯九十九その書を受け軍監中村半次郎に出す、半次郎これを受理す。

これにおいて重臣連署して歎願書を上る。

亡国之陪臣某等謹而奉言上候老寡君容保儀久々京都に於而奉職罷在寸功も無く蒙無量之天眷萬分之一も不奉報隆恩剰觸天譴遂に今日之事件に至り容保父子城地差上降伏奉謝罪候段畢竟微臣等頑愚疎暴にして輔導之道を失い候儀今更哀訴仕候も却而恐多次第に御座候へ共臣子之至情実難堪奉存候間代而臣等被処厳刑被下置度伏而奉冀候何卒容保父子義蒙至慈寛大之御沙汰候様御執成被成下度不顧忌諱泣血奉祈願候某等誠恐誠惶頓首再拝
 慶応四年九月二十二日
松平若狭重役
 萱野権兵衛長修花押
 内藤介右衛門信節花押
 梶原平馬景武花押
 原田対馬種龍花押
 山川大蔵重栄花押
 海老名郡治李昌花押
 井深茂右衛門重常花押
 田中源之進玄直花押
 倉澤右兵衛重為花押
 外諸臣一同 謹上


軍監その書を受理す。






卷八会津城下の戦 其三 自八月晦日 至九月二十四日
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  1. 2013/04/13(土) 12:51:37|
  2. 会津戊辰戦争史2
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