いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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二十二  守護職東下の御下命ならびに幕府への御沙汰書     『京都守護職始末1』

 守護職解任のたくらみ     ときに京師では、守護職が孤立しているのを見て、堂上が相議して、さきに将軍家が大阪からもう一度上京すると上奏しておきながら、急遽東へ帰ったことさえあるのに、攘夷のことはなに一つ実行していないと、そのことを訊問させるのを名目にして守護職を江戸に追いやり、追っかけて解職の勅命を下し、その職を別人に代らせようと巧らみ、二十五日(六月)容保を召して東下を命じ、併せて勅命を伝えた。

大樹の東下以後、関東の形勢はいかがと、御不安心におぼしめされ候間、事情を熟察して言上あるべく、かつ攘夷の儀、叡慮の貫徹を周旋いたすべく御沙汰候事。
 六月


 別紙、幕府への御沙汰書

大樹、二百年来の廃典を興して上洛あり、万事恭順に、君臣の名義改正の儀はふかく叡感に候ところ、去る九日、暇を賜わり下坂これあり候以前、奏聞の件々の始末分明ならず。ことに蒸汽船にてにわかに帰府し、かつ第一に攘夷の期限の儀において不都合の次第、一にあらず候につき、きっと御糺(ただ)しあるべく候えども、ふかきおぼしめしあらせられ候間、追って御沙汰の儀もこれあるべく候事。

 



 わが公書を奉る     わが公はこの勅旨を拝し、驚愕、痛心、言うところを知らず、謹んで勅諚どおり東下せんか、ようやく基礎ができてきた公武一和が、たちまち一朝の夢となって消えうせることは疑う余地もない。しかしこれを辞すれば、あるいは厳譴をこうむることは計り知れない。百思千考、腸(はらわた)を断つおもいでいたが、ついに一旦の勅命を辞しても、公武一和の趨勢を維持することの重大にはかえられないと固く決意して、謹んで左の書を奉った。

この度御使者となって関東下向、つぶさに言上仕るべく、かつ攘夷の儀、叡慮の貫徹を周旋いたすべしとの御沙汰、不肖の私、万々ありがたきしあわせ、朝に朝命を蒙り、夕に途について微力を尽すべきはずに御座候ところ、なにぶんにも心に落ちがたき仕儀これあり、不行届に候ては、かえって重命を汚し奉り候儀につき、退いてつらつら勘考仕り候ところ、当職相勤め候儀は、もとより重大の儀にこれあり、初発以来、私はもちろん家来どもまでも、決心のうえ罷り発し候儀にて、ここもとを墳墓の地と定め、力の及び候かぎりは輦轂の下、風波おだやかに、宸襟に御不安の儀いささかもこれなきよう、せいぜい仕りたき志願に御座候。これまで、万々不行届の事どもにて、右ようの儀を申し上げ候も恐縮の至りに御座候えども、腹蔵なく心底を打ちあけ申し上げ奉り候。この段は御海恕願い上げ奉り候。
しかるところ、一昨日の御沙汰を蒙り候について、いかにも重大の儀に候ゆえ、私の存意はその節にも申し上げ候通りに候えども、家来どもの存意をも相たずね候ところ、格別の御人撰をもって重き御用を蒙り候断、重々ありがたきしあわせには候えども、この度、長州にては外夷と兵端を相ひらき候儀にこれあり、はたまた摂海に乗り入れ候風説も紛々としてこれあり、有志のことさら登京いたすべき儀に候ところ、当職掌におりながら一歩も輦轂の下を離れ候事、部門においてはかたくなさざるところにして、かつ、大樹東下の節にも厚く申し置き、この節柄、別段に心をつけて守護し奉るようとの命、なお耳底にこれあり、東下以来の模様一つも申し来らず候うちに、ここもとを離れ候ては、大樹の遵奉の意にもこれあるまじく候間、この辺をとくと御勘考あそばされて、御使者の儀は御付武家【注一】か町奉行のうちへ申しつけ、なお、家臣をも相添えて関東へ至急にさしくだし、後見職、年寄どものうち、早速罷り登り、逐一申し上げ、御用をも相伺い候よう申しつかわすべく候間、しばらくの間御猶予あそばし下され、私においては一心に当職掌を相勤め候よう幾重にも嘆願申し上ぐべき旨、家来ども一同も決心のうえ申し出で候につき、私熟考仕り候ところ、攘夷の儀、叡慮貫徹いたし候よう周旋仕り候事は、一昨日も申し上げ候通り、はじめは水戸中納言、次は小笠原図書頭、つづいて一橋中納言、いずれも叡慮貫徹致し候よう周旋仕り候事に候えども、不行届に候は、その間、さだめて止むをえざる形勢のこれある儀にて、私下向仕り候とて、行届き候見込みは御座なく候。
万一世上の風説通り、関東下向の折に外夷摂海へ入寇などいたし候ては、恐懼の至りに候間、重き当職をもって、一日もここもとを離れ申すまじき儀は、もちろん前段に申上げ奉り候通りに御座候間、この辺、厚く御熟考のうえ御沙汰なし下され候よう嘆願し奉り候。誠恐誠惶敬白。(六月二十七日)


 この書をさし上げたところ、伝奏衆は、いま勅旨を幕府に伝えさせる人は守護職以外に見当らない、そのうえ東下について、すでに恩賜の品々まで揃っているのだから、これを変更となると上へのはばかりもあるからと、再三慫慂(しょうよう)に及んだが、わが公も固く前旨を述べて、このことの執奏を請うた。

        



 【注】

【一 御付武家】 禁裡付武士。格式は目付役程度であったが、武家伝奏と所司代の間に介在し、公武間の交渉事務に関与する重要な役目をもっていた。

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  1. 2012/11/04(日) 08:08:24|
  2. 京都守護職始末1
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