いがぐり史料館

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水戸兵国境を去る

水戸兵国境を去る

 時に水戸の隊長市川三左衛門、朝比奈弥太郎、筧助太夫等兵を率いて田島に在り、佐川は浅羽忠之助を遣わして告げしめていわく、事ここに至る諸君の進退は意のごとくせよと、市川等佐川を訪れて別を告げ、会て交付したる所の兵仗を請い、その兵を率い我が国境横川の関を踰え野州を経て南行す〔若松記、津田範三筆記、浅羽忠之助筆記〕。

九月二十七日別軍の諸隊大内村を発し福永村に至り兵仗を納む〔若松記〕。

 同二十八日西軍野尻より来り襲うの報あり、砲兵隊々頭鈴木多門は隊士高橋圓治を使節と為し、書を敵将に贈りていわく、寡君開城し我が隊まさに此の地を去らんとす、請う兵を進むることなかれ、もし諾せずんば武門の常時快戦を辞せざるべしと、後隊士中川守五郎、永田蘇武之助を西の陣に遣わして交渉せしむ〔若松記〕。
 
この日砲兵隊士隊不澤村を発し小林村に次す〔若松記、砲兵隊戊辰戦記〕。

別軍諸隊福永村を発す、米澤の兵力を護衛して塩川に至る〔若松記〕。

朱雀三番士中隊、進撃隊高野村を発し田島に至る〔若松記〕。

 同二十九日砲兵隊小林村を発し針生嶺を踰ゆ、白雪路を埋め寒威凛冽全隊行歩すこぶる艱む、この夜針生村に次す〔若松記、砲兵隊戊辰戦記〕。

十月朔日砲兵隊針生村を発し田島に至る、隊頭鈴木多門職を解かる〔若松記、砲兵隊戊辰戦記〕。

同二日朱雀三番士中隊、進撃隊、田島を発し大内に次す〔若松記〕。

 同三日朱雀三番士中隊、進撃隊、砲兵隊、大内を発し大内峠を踰え、福永村に至り兵仗を官軍に納む〔若松記〕。

 同四日福永村に次したる諸隊は米澤の兵これを護衛し本郷村を経て塩川に至る、途上長州奇兵隊の国に帰るに逢う、我が兵これを田圃の間に避けて通過せしむ、衆皆憤慨切歯せざるはなかりき〔若松記、砲兵隊戊辰戦記〕。

 同八日佐川官兵衛塩川において謹慎すべきの命あり、佐川、田島を発し此の夜福永村に宿す、浅羽忠之助に命じ瀧澤村妙国寺に至り二公に謁し上言せしめていわく、大任を危難の間に拝して軍に従いしも、その任を全うする能はずして事此に至れり、実に恐懼の至りに堪えず謹んで謝すと〔浅羽忠之助筆記〕。

 同九日米澤兵三人浅羽忠之助を護衛し、薩の参謀伊地知正治の陣に至り印鑑を請うて妙国寺に至り忠之助は我が藩相に佐川の使命を告げ、直ちに二公に謁し、佐川の使命を上言し終りて再び米澤兵に護衛せられ塩川に至る〔若松記、浅羽忠之助筆記〕。






卷九 南方の戦
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  1. 2013/04/17(水) 10:48:29|
  2. 会津戊辰戦争史2
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