いがぐり史料館

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恩詔

恩詔

 十二月七日詔書ありいわく、

賞罰は天下之大典朕一人の私すべきに非ず宜しく天下の衆議を集め至正公平毫釐も誤り無きに決すべし今松平容保を始め伊達慶邦等の如き百官将士をして議せしむるに各小異同ありと雖も其の均しく逆料にあり宜しく厳刑に処すべし就中容保の罪天人共に怒る処死尚余罪有すと奏す朕熟ら之を按するに政教世に洽く名義人心に明かなれは固より乱心賊子無るべし今や朕不徳にして教化の道末た立たす加之七百年来紀綱不振名義乖乱弊習の由て来る所久し抑容保の如きは門閥に長し人爵を假有する者今日逆謀彼一人の為す所に非す必ず首謀の臣あり朕因って断じて曰く其の実を推して其の名を恕し其の情を憐んで其の法を假し容保の死一等を宥して首謀の者を誅し以て非常の寬典に処せん朕亦将に自今親ら励精図治教化を国内に布き徳威を海外に輝かさんことを欲す汝百官将士其れ之を體せよ
 明治戊辰年十二月七日


 聖詔このごとく、我が公に寬典を下されたれば、行政官よりもまた左の発令あり。

今般松平容保等御処置之儀天下之衆議被聞食候処刑典に於いて可被処厳科奏聞有之候得共宸斷別紙之通被仰出候就ては詔書之趣各篤く奉体可有之被仰出候事
 十月七日 行政官


行政官さらに両公その他に左の命を傳ふ。

作冬徳川慶喜政権返上之後暴論を張り姦謀る運らし兵を挙て闕下に迫る事敗れ遁走す慶喜恭順するに及び更に悔悟せず居城に撚り兇賊の称首と為り飽まで王師に抗衡し天下を擾乱す其の罪神人共に怒る所屹度可被処厳刑之処至仁非常之宸斷を以て死一等を減し池田中将へ永預け被仰付候事
 十二月 行政官
  松平喜徳

父容保之不○資け共に兇賊之称首と為り飽まで王師に抗衡候条屹度可被処厳刑之処至仁非常の宸斷を以て死一等を減し有馬中将へ永預け被仰付候事
 十二月 行政官〔東京城日誌、松平家譜〕


 同日行政官より保科弾正忠へ左の命を伝え会津藩首謀者を申告せしむ。

 保科弾正忠
松平容保家来之内反逆首謀之者早々取調可申出事〔松平家譜〕


 十二月十二日若松在陣参謀より命を伝え、猪苗代謹慎の海老名郡治、井深茂右衛門、田中源之進、小森一貫齋、井深守之進、辰野源之丞、秋月悌次郎、春日郡吾、桃澤彦次郎(桃澤は病に罹り後東京に在る)、塩川謹慎の諏訪伊助、佐川官兵衛、相馬直登、柳田新介を瀧澤村官軍陣営に召喚し、十三日会津を発し東京に至るべきを命ず、途中小倉藩の兵護衛しこの月十六日東京に至り伝馬町の獄に投ぜられ、十七日司法省に召喚し海老名、井深、田中、井深(守之進)、辰野、春日は細川邸に、諏訪、佐川、小森、柳田は堀田邸に幽せらる、独り相馬直登は脱走して函館の榎本軍に身を投ぜりと云う〔浅羽忠之助筆記〕。

 同十八日若松在陣参謀より猪苗代、塩川謹慎の旧藩家老原田対馬、上田学太輔を召喚し、旧藩士に鎮将府の命を伝ふ。

 士分以下之者共へ
別紙之通可申渡事
其方共事実弁無之者と雖王師に抗候段皇国之大典不可許依之百日謹慎被仰付候猶御扶助米二人扶持被下候事


 士分以上兵隊役人
 軍事治官共
其方共追而何分之御沙汰有之迄御扶助米二人扶持被下候事


 奥女中
今般容保事大典を侵候得共其方共に於ては御構無之依ては御扶持米二人扶持被下候事


 婦女子
同文


 兵卒之外下々 六百四十六人
 従僕 四十二人
 鳶の者 二十人
其方共御構無之以来心得違無之様各産業可勤者也
追て御詮議之上埤僕之者は農商に被帰候事


 同日若松在陣参謀の命令を米澤藩より口頭にて伝ふること左のごとし。

一 病院に罷在候者は快気出院の卑り二人扶持被下候事

一 老幼之者共は是迄迚も御構無之儀に候へ共猶此後迚も御構無之候間何れへ住居致候共勝手次第の事
但飢渇に及候様なれば可願出左候へば焚出可被下候

一 東京登之者は東京表に於いて御扶持米二人分被下候事
同四日若松在陣参謀より左の命あり。


 軽卒 四百九十七人
右足軽之内当町農商より養子或は自身を以て軽卒奉公罷在候者共早々取調来る二十一日迄可被書出候事
 十二月 若松在陣参謀


 十二月二十七日若松在陣参謀より塩川謹慎の上田学太輔、猪苗代謹慎の原田対馬を召喚す、米澤藩の兵これを護衛す、双刀は袋に納め兵士これを持って輿側に従う、二十八日夜に至り軍務局に(大町融通町)に至るや参謀左の書を交付し、猪苗代謹慎の旧藩士は松代藩に、塩川謹慎の旧藩士は高田藩に幽囚せらるゝの命を伝ふ、終りて軍務官列席して特に上田、原田等の重臣に茶菓酒饌を饗す〔浅羽忠之助筆記〕。

 松平容保家来
別紙御沙汰之通被仰抑付候に付ては近々御差送に相成候間此段可相心得候事
 但老幼婦女子一同罷越度者は出格之御仁恤を以御送被下候条御趣意之旨厚可相心得候事
譜代従僕之者農商になり又は主人に従へ両藩へ罷越候共可為勝手候事

 眞田信濃守
松平容保家来之者共其藩並榊原式武太輔へ御預け被仰付候間両藩申合取締可致旨御沙汰候事
 但受取方之儀は万事軍務官へ可伺出御預中両藩之内へ地所を以三万石御渡可相成候間扶助方行届候様可致候事
 十二月 行政官
  榊原式部太輔
右同分〔東京城日誌、浅羽忠之助筆記〕

 




卷十 戦後の処置
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  1. 2013/04/18(木) 10:49:50|
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