いがぐり史料館

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東京に移囚

東京に移囚
 
 猪苗代に謹慎の旧藩士三千ニ百五十四人〔猪苗代御人数取調帳〕は、松代藩に幽囚せらるゝの命を受けたるが、この日より隔日に出発することゝなり、この日は加州、小倉の藩兵これを護衛す、十四日一行宇都宮に至りしに、同地軍務局参謀より我が応接掛けを召喚して命を伝えていわく、松代藩より大人数を預かるは難渋の趣歎申出でたるを以て一ト先東京に登るべしと、これにおいて七日出発の分は加州兵これを護衛して東京小川町購武所に至り、九日出発の分は小倉兵護衛して東京護国寺に至り、十一日出発の分は小倉兵護衛して東京購武所に至る、而して十三日出発の分は小倉兵護衛して瀧澤村に至りしが、一旦猪苗代に帰還せしめられたり。
 若松在陣参謀より、旧会津降伏人の老幼並婦女子にして、寒気を凌ぎ兼ねて極めて困窮の者もあるやの聞えあり、よって別段の御仁恤を以て手当として金五千両を給せらるゝの命あり、また城中より降伏したる婦女子五百七十五人は参謀に於いてこれを取締る旨を達せらる〔浅羽忠之助筆記〕。

 正月二十四日飯野藩主保科正益主より我が旧藩の首謀者を朝廷に開申す。

今般松平容保家来乃内反逆首謀者取調言上可仕旨被仰渡則夫々検勘仕処
 家老 田中土佐
 同 神保内蔵助
 同 萱野権兵衛
右之者伏見事件より其後に至るまで国務重立取扱罷在遂に天兵御発向御征伐を蒙候始末に立至候は必竟辺諏頑愚固陋之性情大義順逆を弁し兼方向に相迷主人輔佐匡救藩内之勸戒教導を誤候儀奉対天朝深く恐入王師御討入之日土佐内蔵助両人共切腹仕相果申候権兵衛儀は依召先達罷登り有馬中将殿へ御預被置謹慎仕居候間謹て蒙天裁候心得に御座候依て此段申上候以上〔御隠居様御幽閉中覚書〕


正月二十八日若松在陣参謀より左の命あり。

今般若狭伯母容保妾二人並奥女中之者更に紀州藩へ御預被仰付候〔浅羽忠之助筆記〕。

 二月四日若松在陣参謀より、旧会津城内より降伏の婦女子中には寒気も凌き兼ぬる極めて困窮の者もあるやの聞えあり、よって別段の御仁恤を以て手当として金千三百両を給せらるゝの命あり〔浅羽忠之助筆記〕。

 同十一日高田藩に幽囚せられし旧藩士へ各二人扶持を給輿し自刃すべきの命ありしが、この扶持にて生活し難きに依り上申したるに、この月十六日より自炊と為し、各自二人扶持の外に同藩より一人扶持を増し三人扶持を給輿し、その内一人分は各現白米四合六勺を給輿し、残り二人分は市場の相場を以て現金に換え給輿せらる〔浅羽忠之助筆記〕。

 二月十五日若松在陣参謀より、用人永井民彌を召喚し左の命を伝ふ。

容保妾二人今般紀州藩へ御預更に被仰付候処懐妊中にて当所へ滞在相願候通被仰付候に付ては万端手当筋厚可取計候右妾二人へ当坐為手当金二万疋被下置候此段可申渡候
 但出産に付種々入用之品も可有之候間於其方差支無之様出来書付を以相達候得は都て御拂被成下候妾二人は日々賄料百疋つゝ外に諸雑費百疋つゝ被下奥候間是迄の二人扶持は以後不被下趣書付被相渡候〔浅羽忠之助筆記〕


若松在陣参謀より左の命あり。

老幼婦女之者共へ十五日より七歳以下玄米三合錢二百文八歳以上玄米五合錢ニ百文つ、被下候
 若松伯母
右は東京より申来候趣も有之候に付以来日々為雑用金ニ百疋つ、被下候


 清水屋(照姫の寓居)護衛の米澤藩隊長来り、用人大薮俊蔵に面し、我が公の側室二人楽園に移るべきことを伝ふ〔浅羽忠之助筆記〕。

 同二十四日若松在陣参謀より、用人永井民彌を召喚し左の命を伝ふ。

 若松伯母
先達申達置候通来二十九被紀州藩へ御差送に相成候事


 奥女中へ
近々紀州藩へ御差送に付ては荷物貫目一人に付五貫目つ、被下候事〔浅羽忠之助筆記〕


 二月二十九日照姫若松を出発す、従者左のごとし。

用人 永井民彌
用人 笹原源之助
御付 馬場輿次右衛門
その外
奥女 貞順院(忠恭公の則室)以下二十一人


三月十日東京に至り紀州藩青山邸において謹慎す〔浅羽忠之助筆記〕。

 同三日、圓隆院(忠恭公の側室)および我が公の側室二人薬園に移る、桑原新八、原田清吾従う〔浅羽忠之助筆記〕。

 五月軍務局より左の命あり。

今般御沙汰之次第も有之格別御仁恤を以入院之者共不残東京へ御差送に相成同地にて療治被成下候
 但重傷にて護送難致者は診察差残に相成候事


 患者の歩行し難き者は診察之上御差残に相成候事

 患者の歩行し難き者には馬、駕を給し、重患にて発する能はざる者は官医これを再診して本年秋李に至るまで残留し、老幼は任意に移住して治療するを許し、病院を発せらる、。患者総て九百人、その中重患者七十人を除き、六月十六日より東京に護送し、芝増上寺々中徳水院外一二の寺院に分置せらる〔浅羽忠之助筆記〕。






卷十 戦後の処置
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/04/19(金) 09:42:55|
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