いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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一般戦死者の埋葬

一般戦死者の埋葬

 このごとくにして飯盛山殉難白虎隊十九屍体の埋葬を了りたりといえども、無数一般戦死者の屍体は依然到る処の戦場に委棄せられあり、これまた一日も放置すべきにあらざれば、取締より参謀に向って之が埋葬の交渉を為したるに、参謀は之を許可したるも屍体の収容埋葬は下町付近の地においてすべしと厳命せり、これに就き取締は異議を唱いたるも終に聴く所と為らず、阿弥陀寺および長命寺に分葬することに決し、その費用を計上したるに役千両を要すべき、その資金を得る能はず、これにおいて筒井茂助をして若松大町の商人星定右衛門を説かしめ、同人より金千両を借りてその費用に充てたり、しかして伴百悦、武田源蔵は自ら進んで労作に従事せり、このごとくにして諸所より収容せる屍体は之を両寺内に埋葬し了り、塚域を築き墓標を建てたり、大庭恭平は阿弥陀寺の墓標に殉難之墓と題して揮毫せり、また同寺内に拝殿を建議し二百両を要せりと云う、然るに一日阿弥陀寺の僧瀧澤に来り取締に告げていわく、参謀より命あり一夜の中に墓標を撤去し、且つ拝殿を破棄すべしと、取締は止むを得ず之に従いたり〔町野主水談〕。

 六月三日容保公の男子慶三郎君若松薬園に生る、母は田代氏なり〔松平家譜〕。

 六月九日手代木直右衛門因州藩より高須藩に預け替と為る、十日まさに東京を発せんとす、我が公国雅を賦し自ら書して之を賜う〔浅羽忠之助筆記〕。

八重雲のけふはその身にかゝるとも
 とく吹はらへきその山かせ


 七月十四日軍務局より古河藩外三藩に対し箱館において降伏せる会津人を幽錮するの命あり。

 古河藩へ
小野権之丞
山田陽次郎

 彦根藩へ
芝守三
柏崎才一
大竹作右衛門
坂綱
並河亨
金子忠之進
松田精助
井深常五郎
荒川登

 阿波藩へ
雑賀孫六
片岡八三郎

 郡山藩へ
長谷川権助
森謙助
長谷川昇助〔浅羽忠之助筆記〕


 これより先、榎本武揚等函館に降るにおよび、西郷頼母もまた同じく降り東京に押送せられ舘林藩に幽せらる〔西郷頼母自筆〕。






卷十 戦後の処置
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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2013/04/20(土) 10:09:08|
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