いがぐり史料館

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会津松平家略系譜

会津松平家略系譜

始祖 保科正之卿(贈従三位左中将肥後守)
慶長十六年五月七日生。
寬文十二年十二月十八日薨。
台徳院殿秀忠公の第四子、初め保科肥後守正光主の養子たり、薨後土津霊神と諡す。
寛永系図には正光主の父君保科弾正忠正直主を以て会津家の始祖とし、従って正之卿を会津家の三代とすれども、正之卿より三代目正容朝臣の時『可為松平』との台命あり、よって寬政の重修諸家譜には、十八松平の次に会津松平を加え、正之卿を始祖とせり、今之に従う。

二世 正経朝臣(従四位侍従筑前守)
天保元年十二月二十七日生
天和元年十二月三日卒
法号鳳翔院殿冝山休公

三世 正容朝臣(正四位左中将肥後守)
寬文九年正月二十九日生
享保十六年九月十日卒
徳翁霊神

四世 容貞朝臣(従四位少将肥後守)
享保九年八月十六日生
寬延三年九月廿七日卒
土常霊神と諡す。

五世 容頌朝臣(贈三位左中将肥後守)
延享元年正月九日生
文化二年七月廿九日薨
恭定霊神と諡す。

六世 容住朝臣(従四位侍従肥後守)
安永七年十一月二十日生
文化二年十二月廿七日卒
貞昭霊神と諡す。

七世 容衆朝臣(従四位少将肥後守)
享和三年九月十五日生
文政五年二月廿九日卒
欽文霊神と諡す。

八世 容敬朝臣(贈従三位左中将肥後守)
享和三年十二月廿三日生
嘉永五年二月十日薨
忠恭霊神と諡す。
初め容住朝臣の卒するや、家老田中三郎兵衛玄幸が謀らひにて侍妾の内妊娠せる者ある由幕府に届、間もなく男子出産の届を為せり、これ容敬朝臣なり、実は水戸中納言治保卿の二男義和主の庶子なり、義和主次いで濃州高須の松平摂津守義居朝臣の養子となれり。

九世 容保公(正三位元参議元肥後守)
天保六年十二月廿九日生
明治廿六年十二月三日薨
忠誠霊神と諡す、実は濃州高須の松平義建朝臣の六男なるが容敬朝臣の養子たり、容敬朝臣は高須の義和朝臣の長子にて義建朝臣の兄君なれば容保公の実伯父なり。

十世 喜徳君(従四位下侍従若狭守)
実は水戸中納言齊昭卿の第十九子なるが、慶応二年二月朔容保公の養子となり、同四年二月四日襲家、明治六年に復帰す。

十一世 容大君(正四位子爵騎兵大尉貴族院議院)
明治二年六月三日生
明治四十三年六月十一日卒
存誠霊神と諡す。

十二世 保男君(正四位子爵海軍少将貴族院議院)
明治十一年十二月六日生
明治四十三年六月十三日容大君の遺命により家督を相続す。






卷十一 附録
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  1. 2013/04/21(日) 12:41:43|
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