いがぐり史料館

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敵軍の暴掠

敵軍の暴掠

 戊辰九月の始め米澤藩先づ西軍に降り尋いで使者を我が藩に遣わし降を勤めて云う、我らが賊軍として戦いし者は実は王師なり、現に越後口総督嘉彰親王、錦旗を進めて塔寺村にあり、王師に抗すべからずと、我が公曰く、予初め各藩に依り哀訴歎願数回に及ぶも省せられず、猥りに兵を進めて封内を劫掠す、これ眞に王師の為さゞる所にして姦邪の為す所なり、予豈に王師に抗せんやと、これにおいて降を乞うに至りしものなるが、西軍の残暴掠奪は実に意想の外に出で、その一端は本史に散記せしが、なお当時その所業を目声耳聞して筆記せし辰の幻、戊辰見聞漫筆〔柴五郎著〕、耳目集〔商人齋藤和節著〕より左に之を摘録すべし。

一、王師などゝ称へし敵は野蛮の甚だしき行のみ多かりしは言語の外なり、商工農家を問はず家財の分捕は公然大標札を建て薩州分捕、長州分捕いわく、何藩分捕と記し、しかして男女老幼を殺戮し強姦をば公然の事とし陣所下宿には市井人の妻娘を捕え来りて侍妾とし分捕りたる衣食酒肴に豪侈を極めたることは当時市人の目撃したる所なり。

一、若松愛宕町の呉服および質店森田七郎右衛門の土蔵は薩州隊と肥前隊とにて分捕を争い薩州隊は自隊の不利を憤り焼弾を投じて土蔵を破壊し彼我何等得る所なかりき、其の後森田は此の焼跡の灰を掻きて金魂を得たりとのことなり〔以上戊の幻〕。

一、若松大町より以東の町々は早くより西軍の営となりし故薩長を始め諸藩の隊は家財または焼残の土壌に分捕の標札を掲げたり、避難より立返りし市人は相当の代値を拂って西軍より家財を買い戻すことを得たれども遅く帰りし者共は既に無一物となりて何品をも買い戻すことを得ざりき〔戊辰見聞漫筆〕。

一、戊辰八月二十六日(前略)土蔵を持合わせて此の日までも落さゞる族は人馬にて諸品を持運びつれども吾らがごとく土蔵は持たずたまたま人の土蔵にたのみ置て其の土蔵焼けをちたりし人は誠に手持無沙汰にて歎くに堪えたり、斯くする中分捕と名づけて残りゐし土蔵を破り、又は程遠く持出置きたる品々を盗みとりぬ、誠に衣食住に離れて艱難至極して途方にくれける人を其の上に掠むるはうたてきとも歎かはしとも沙汰の限りというものになり。

一、九月十八日(前略)昨日の戦争には死人多くありて中々通行するも気味わるしと逃げ来る人の申すなり、この時よりは南町口の通行出来ず御城内の往来四方塞がりけるとなん此故か諸所の分捕誠にして山中まで捜し奪う由の噺聞ゆれば、この村(澤村)も途中まで来りしと猶々さはがしかりなり。

一、十月廿四日廿五日、この両日の記事の概略は『他人の土蔵に入れ置きし家業の大釜二組および小釜数箇は土蔵焼落の後その付近に仕舞置きたりしが廿四日往きて見れば其の大釜小釜に薩州二番隊分捕の張札あり、大に驚き古川御殿前の番兵所に出頭し下渡を請いたるに償い金六両差出すべしと云う、待ち合わせなければ明日まで猶予を請い廿五日金子を才覚して再び訪ひ官軍に掛合たるに此の釜一切は某村肝煎山口某が買受の約成れりと云うを聞き、たまたま来合せたる山口某の承諾を得てようやく買い戻せり、今一足遅くんば他人の所有となるべきに、今日亡父の命日なれば其の守護によりなるべしと喜びたり』とあり。

一、十月十五日頃(概記)各村に一揆起こり農兵は手に手に鋤鍬鎌類を携え予て非道の聞えある村長の家を打壊し、あるいは放火し、その家の諸帳薄手形証書類を取り出して之を焼却し、または金銭を取り出して貧民に投げ輿へたり平素村民を厚遇し人望ありし村長は其の災厄を免れたるも驕慢無慈悲にして彼の官軍の例に傚ひ分捕等をなしたる村長は最も手痛き目に逢い一家丸焼になりし者もあり、先に我が大釜の分捕に逢いしとき之を買い求めとして金子を所持せし山口某の如きも兵火の際焼け残りし一箇の土蔵を毀たれ中に積み置きし物品を取り出して焼棄せられたり。

一、この頃官軍の人としばし道連になりしに此の人の咄せしを聞かぢりしに、扨々会津の家中は内福なものぢや、分捕に分捕を重ねれども珍器財宝よもつきじぢや、大きな家に入て見れば大小の腰の物二十腰三十腰持たぬ家はなく、中には五十も百もあるのぢや、みなみな其こしらへの善事金銀を惜しまずに鏤めたりいと見事の細工物も御座った、また懸物書物類は山に積んでぢや、夫に準じて衣類諸道具も沢山にて中々大ていぢやなかつた町方とても少し大きな家に入て見れば同じ事ぢや、又吾々が仲間の咄にも去年外のさふらひ屋敷は家こそ小さけれど家中にも劣らぬ物持があつたとさ、分捕してのあとを焼拂ふには実にをしかつたといいました、中には大金を井の中や泉水へ投げこみ置し家もありました、誠に以てをしき事をしたやうぢやが君命なれば是非がないのぢや、云々と話を聞き何とも答えのしやうがなければ只左様左様と計りにて別れにけり〔以上耳目集〕。






卷十一 附録





会津戊辰戦史 
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  1. 2013/04/24(水) 09:54:52|
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