いがぐり史料館

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九  徳川慶篤卿の弟余八麿をわが公の嗣子とする議     『京都守護職始末2』

 慶勝卿への内書     この日(十四日)、将軍家から徳川慶勝卿に内書があり、慶篤卿の弟余八麿をわが公の嗣子とすることを仲介せしめた。慶勝卿がこの書を示した。左のごとくである。

松平肥後守久しく病気にまかりあり、心配致し候。壮年の儀にもこれあり、追々復常の事と存じ候えども、数月の儀は、急速に出勤のほどはいかがこれあるべきや、当節柄、かれこれ心配致し候趣、心中察し入り候。未だ嗣子もこれなく、別して心を安んぜずば、自然、気力引立ての碍(さまたげ)にも相成るべきやと、自分に於ても心配の事に候。ついては、このほど余八麿こと在京まかりあり、殊に年齢その外も至極相応の儀につき、幸い肥後守の養子に致し候わばしかるべしと存じ候間、この段双方へ早々御申し伝え、御周旋これありたく候事。

 後にこの約束が成り立ったとき、わが公は家臣の手代木勝任を水戸家にやって、左の三事を約束させた。その一は、他日わが公に実子が生まれた場合は、余八麿の継嗣(あとつぎ)とすること、その二は、余八麿の教育は、すべてわが家風へ従うこと、その三は、水戸家からの附人(つけびと)を謝絶することなどであったが、このことは後に詳説するように、遂に中止となった。





 将軍家の見舞い     十五日、将軍家は小姓頭取木村紀伊守を遣わし、親書をもってわが公の病を見舞い、脇息一脚、檜重一組を賜わった。

不調の時令、昨今の容体いかがに候や、朝夕心配いたし候。療養油断なく、なにぶんにも気力引立て、一日も早く快復のうえ、これまでの忠勤空しからざるよう、国家のために祈るところに候。なお、委細は側向(そばむき)より申し聞かすべきこと。(四月十五日)





 再び辞職を願い出     十七日、わが公はまだ病が本復しないので、事務の渋滞をおそれ、重ねて次のような書面を呈して、辞職を願い出た。

拙者儀、病気につき退職を願い奉り候ところ、このうえ、いつまでも心気永に、とくと養生を相加え、気分快癒まかりなり候わば出勤致すべく、よって願いの趣、御沙汰に及ばせられがたき旨仰せ出だされ、その余、度々の厚き御内命、拝領物など、仰せつけられ、下しおかれ、御懇篤の思し召し肺肝に徹し、鴻恩何とも申し上げよう御座なく、深く深く有難き仕合わせと存じ奉り候。
不肖の拙者、かくまでに御眷顧成し下され候、下って再応申し上げ候段、至々極々恐れ入り奉り候えども、病症柄、急々に快癒の様子も相見え候わば、何とか御請け申し上げ、一際勉励、尽力して御奉公仕り候て、登京以来の素志、相達したき志願に御座候えども、今もって平臥まかりあり、種々かれこれと医療を相尽し候ところ、なにぶんにも肥立甲斐なく、とても急に快癒には相成らざる旨、医師共申し聞け、ほとんど当惑仕り候。
尋常の時節にても御座候わば、御沙汰に随い、緩々(ゆるゆる)と療養を差し加え、御奉公仕るべき儀に御座候えども、只今、眼前の至重の事件旦夕に切迫致しおり、時日を相移さず、それぞれ御処置御座なく候わでは、必至と相成らず、この節かくのごとく病気にては、心外千万ながら、何とも致しかた御座なく候。一日も職を曠(むなし)うしてまかりあり候ては、御為に相成らざる儀は勿論、寸時も相安んぜず、止むをえざる事を願い申し上げ候儀に御座候。
筆端にては尽し難き深厚の御沙汰を蒙りながら、恣(ほしいまま)にかれこれ申し上げ候よう思し召しを蒙り候ては、甚だもって恐れ入り奉り候間、右等の事実、とくと御憐察成し下され、なにとぞ願いの通り御許容成し下されたく願い奉り候。以上。


 幕府は、懇切にさとして、あえて願い聴こうとしなかった。

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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2012/11/14(水) 11:44:44|
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