いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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十二  藩士柴司の自尽     『京都守護職始末2』

 十麻田時太郎     この日、東山高台寺境内にある清水曙と号する茶庭に、挙動の怪しいものが潜居しているとの訴えがあった。
 わが公は家臣と新選組をやって、これを捕えしめた。行ってみたが、さして異事はない。ただ桜上に一人の士人がいて、多勢が入ってくるのを見て、倉皇として逃げ出そうとした。わが藩士柴司が、その姓名をたずねたが、答えずに、なおも逃げようとするので、司は、槍をふるってその腹部を刺し、捕えて推問したところ、土佐藩士麻田時太郎と名のった。





 土佐藩との疎隔を憂      麻田が一言も答えようとせず逃れようとしたので、司がこれを刺したのは当然なことであるが、そのころ山内豊信朝臣は、先にその家臣の激徒を斥けてより【注一】、一藩がこぞって公武一和につくすところが少なくなかったのに、いま 、思いもよらぬこのような細事から、わが藩と土佐藩とが反目するようなことにでもなれば、ゆゆしき大事であるので、わが公は殊に憂慮された。そして、家臣に旨をふくめ、時太郎のために医員をつけて土佐藩邸にやり、その事情をのべて、治療を助けしめた。
 土佐藩の君臣はこれをきいて、「元来、一旦の過誤から起ったことであるから、すこしも意に介していない。万一この後もまた、このようなことがあっても、決して貴意を労するに及ばない」と、ふかくわが公の懇切を謝した。しかし、その言葉や顔色に、不満そうな様子があった。
 その後もまた、使者に医員を副えて、かの邸へつかわしたところ、留守居役の某が面会して、わが公の厚意をあつく謝したあとで、「彼はすでに決心しているからと言って、医療を辞退しております。ゆえに今後は、御医員はもとより、お見舞の御使者も賜わりませんように」と堅く謝絶した。その辞色が、尋常でないのを見て、土佐藩が、この事件についてのわが処置に不満であることが確かめられた。そのあとで詳細を探聞すると、時太郎に逼(せま)って屠腹せしめた(これを俗に詰腹と言う)ということがわかった。





 柴の忠死     ここにおいて、わが藩臣たちも、これに対する方法を評議し、あるいはわが方でも司に切腹させて、土佐藩に謝してはどうかという者もあった。しかし、司の所為は、もともと公の命を奉じ、しかも、衆に先がけて力を致したもので、功がありこそすれ、毛厘の罪がないことは如何ともしがたく、わが公も、殊にこれを憂慮していられた。
 司はこのことをひそかに聞き知って、憤然としてその兄にむかって、「わが一命を奉ってこのことが収まるなら、これに越した幸はない。一死をもって君恩に報いるのは武士の常道で、何の遺憾があろうか」と言って、遂に自尽して果てた。

 土佐藩慚愧す     このことを聞いて、わが公はもとより、一般こぞってその節操に感動し、嘆惜して止まず、すぐさま使いを土佐藩邸にやって、その由を告げ、「聞くところによれば、麻田氏の弟が在京されるそうであるが、来って司の屍を検視してほしい」と言ってやった。土佐藩の留守居役某は、これを聞いて、「貴藩の御処置の周到さには、かえって慚愧にたえません。特使をもってかく懇旨を賜わるからには、もはや屍を検する必要はありません」と、厚く鳴謝してから、「じつは、時太郎は昨夜この一書をのこして自尽しました。それで今、貴藩邸にまいって、その由をお知らせしようと思っていたところ、はからず御来臨あって、これでは事局はまったく収了いたし、真に感荷の至りであります」と言って、懐中から一書を出して示した。
 わが公はふかく司の忠死を憐んで、その兄某を起用して、棒給若干を与えることにした。





 【注】

【一 家臣の激徒を斥けて】 第十八章注九を見よ。

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テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

  1. 2012/11/14(水) 19:25:06|
  2. 京都守護職始末2
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