いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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二十六  嗣子余九麿初めて参内する     『京都守護職始末2』

 従五位下若狭守     六月九日、わが藩の嗣子余九麿が、はじめて将軍家に謁見した。将軍家は、この日、特にわが公父子を便殿に召して、宴を賜うた。
 六月二十八日になって、将軍家は余九麿を召して、親しく首服〔元服〕を加え、奏請して、従四位下侍従兼若狭守に叙任した。慶喜の喜の字を偏諱して、喜徳と名のらせ、刀一口(豊後定行作)を賜うた。わが公父子は謝礼として、太刀、馬代、巻物などを献上した。その他、静寛院宮【注一】、天璋院殿【注二】、御台所【注三】にそれぞれ献上物をした。
 越えて、七月二十三日、わが公は世子とともに参内し、任官、叙任の恩を謝し、天顔を拝し奉った。ただし、先帝の諒闇中なので、天盃を賜わることはなかった。
 これよりさき、わが公は春以来の病痾が全く癒えず、ややもすれば発病して、たちまち重きを加えることがしばしばであった。思うに、去年の大喪に、哀痛の極み、鬱憂が疾病を招来したものと思われる。家臣共はこぞって日夜痛心し、将軍家もまた憂慮された。





 東帰許可の事情     さきに幕府は、わが公の東下の内請を許しておきながら、言を左右に託して、なお、その東帰を許可しない。六月に入って、病状がすこし軽くなった。そこで、家臣を中川宮、摂政殿下、勝静朝臣のもとにやって、東帰の許可の催促をした。
 当時、在京の重臣から会津にいる重臣に送った書簡中、その時情を知るに便であるので、左に掲げる。

当十二日、板倉様へ罷り出で、主人御暇の儀、出勤致し候わば、早速御沙汰下され候よう、かねがね厚く仰せ聞けられ置き下され候ところ、ようやく当朔日出勤仕り候えども、今に何の御沙汰もこれなく候。
いかようの御都合御座あるべきや、相伺いたく罷り上り候旨申し上げ候えば、ことごとく御出勤に相成り候わば、早速御暇を仰せ出だされ候筈に候ところ、委細相弁じ候通り、今般、四藩出京しての建言等の儀については、只今御暇(おいとま)と申す所にも至り兼ね候儀に候えども、元来、止むをえざる次第これあり御暇下され候筈に候えば、この節御暇下され候外これあるまじく候えども、一旦罷り下られ、それのみにて登京致されざる含み等これあり候ては、必至と相成らざる旨仰せ聞けられ候につき、その段は、かねて御請合も申し上げおき候儀にもこれあり、且つ一年なり一年半なり御暇下され候年限中なりとも、事変と承り候わば、すぐさま駆け戻り候儀に御座候間、その段は決して御懸念下さるまじき旨を申し上げ候えば、御暇下され候に至り候ても、余九麿殿、年始、八朔、五節句【注四】の登城の儀相伺われ候うえ、御元服、首尾よくすまさせられ候うえにこれなく候わでは、相運ばざる義に候間、右伺い、急に差し出され候よう致したく、且つ摂政様、宮〔中川宮〕様にも、先だっては、御暇の儀止むをえざることと御決着に相成り居り候儀に候えども、御懸念もこれあり、この節に相至り候ては、いかが思し召し候や、なお右御両方へも、最も一応相伺い候うえ相運ぶべき旨、御懇切に仰せ聞けられ候につき、若殿様御登城御伺いの儀、早速取り計らわせ候ところ、一昨十三日、御伺いの通り仰せ進められ、且つ同日に摂政様へも罷り上り、御名(容保)御暇の儀、今に御沙汰御座なく候につき、板倉様へ罷り上がり御催促申し上げ候えば、なお御評議下さるべき旨、仰せ聞けられ候ところ、幕府より御伺い下され候わば、早速御暇下され候よう御含み下しおかれたき旨申し上げ候えば、この節に相成り候ては、別して御名殿を御留め申したきことは山々に候えども、只今強いて御留め申し候ては、御家の御ためにならざるはもちろん、押上げ天幕の御為に相成らざる儀につき、御暇下され候外これなく、委細は先だって、国情止むをえざる次第を承り留め候うえは、きっと決心罷りあり候儀に候えば、差し含み居り候はもちろんに候間、幕府の方へよく申し候よう、且つまた御暇下されて然るべしとの評議の節、宮には、只今会津家へ御暇を下され、もし跡に事変これあり候わば、いかがなされ候やなどと、御不承知の御口上等これあり候ては不都合に候間、宮へもとくと申し上げおき候よう、しかしながら、一旦罷り下り、それのみに致され候ては、決して相成らざる儀に候間、この段は、その方共も厚く相心得罷りあり候よう仰せ聞けられ候につき、御名様はもちろん、私共に致し候ても、ここもとを引き離れ候事はぞっこん相好まざる儀に候えども、かねて申し上げ候通りの件々、止むをえざるの次第これあり、御暇相願い候儀にて、事変これあり候わば、すぐさま罷り登り候儀にて、下りきりにいたし候所存など毛頭御座なく候間、その段はいささかも御懸念なし下されざるよう仕りたき旨、申し上げ候儀に候。
御名殿御暇については、その方ども、誰が残り候や、これまでよりも心易く、節々尋ねくれ候ようなどと、いろいろ御懇切の御事共にて、御一人様御居り等までも仰せ聞けられ候段々、深く深くありがたき仕合せと存じ奉り候旨、厚く御礼申し上げて退き候儀に候。
昨十四日、賀陽宮様へ罷り出で、摂政様、伊賀守(勝静朝臣は、この頃伊賀守と称していた)様へ申し上げ候都合をもって、逐一申し上げ候えば、先だってとは時勢も違い候ゆえ、御暇下され候外これあるまじくと存じ候えども、当節の形勢次第に切迫致し候。この末の見込みなどつきかね候儀、薩州なり、長州なりが暴動致さざるも、畢竟会津家を憚り候ゆえの儀に候間、今しばらく見合わせ候ようにと仰せ聞けられ候につき、主人罷り下り候とも、余九麿罷りあり、私共はじめ人数もそのまま残り居り候儀に候間、右の御懸念はさしてこれあるまじき旨申し上げ候えば、たとえ余九麿罷りあり、人数も残し置き候とも、御名罷りあり候程には、とても行き届かざるは顕然にて、且つ御名罷り下り候わば、容易に出京はこれあるまじくと、この段も案ぜられ候趣、仰せ聞けられ候につき、かねても申し上げ候通り、私の勝手をもって御暇相願い候には毛頭御座なく(中略)、御暇下され、罷り下り、再度罷り登らざる所存等毛頭御座なく、御暇下され候年限中なりとも、事変これあり候わば罷り登り候はもちろん、たとえ途中よりなりとも駆け戻り候儀にて、その段はきっと覚悟罷りあり候間、決して御案思下されざるよう仕りたき旨申し上げ候えば、大いに御うなずきの御様子にて、段々申し候趣もこれあり候については、御暇下され候外これあるまじく候えども、再度登京致さざる含みなど、いささかもこれあり候ては、必至と相成らざる儀、その方共も、きっと心得罷りあり、御用これあり、召され候わば、たしかに急速に登京致し候よう、せいぜい致すべき旨仰せ聞けられ候につき、その段きっと御請合い申し上げ、御暇の儀懇願致し候えば、差し含み罷りあるべき旨、仰せ聞けられ、且つ右については、余九麿にすこしも早く参内これあり候よう致したき旨、仰せ聞けられ候につき、そのへんの所も、よろしく願い奉り候旨を申し上げて退き候儀に候。(下略、六月十五日付)






 中川宮の憂慮     しかるに六月十六日、中川宮がわが家臣内藤信節を召して語られるには、「今日、諸公卿が俄かに参内して、殿下に何か要請しようとしているそうである。それで、殿下も、予も、病気と言って参内せず、しばらく彼らを避けて、動静を見ていようと思う。おそらく彼らの要請の大意は、毛利敬親父子の官位を復し、すみやかに上京させ、また大樹をしりぞけ、老中板倉伊賀守、小笠原壱岐守(長行朝臣、この頃壱岐守と称していた)、大目付永井玄蕃頭などを長門藩に引きつれてゆこうということと思われる。目下の情勢はかくのごとくで、如何ともなしがたい。ゆえに、宰相(わが公)が輦下に留まって、守護に精励してくれなければ、京師はたちまち不測の変を生ずるであろう。汝らも努力してほしい」ということであった。





 薄氷の上の幕府     ついで八月八日、将軍家もまたわが公を召して、親しく目下の情勢を縷々説明し、「殊に薩、土、肥前等が毛利敬親父子の官位復旧のことなどを建議し、先朝の勅詔をことごとくひるがえそうとしている。しかも朝廷は、このことを秘密にして、予に与り聞かせまいとしている。幕府の危いことは、じつに薄氷を踏むようである。一歩を誤れば、たちまち天下は擾乱となろう。ゆえに、卿も病気を勉め、東帰の念を断ち、在京して補翼されたい」と、寄命すこぶる懇篤であった。
 しかし、わが家臣の中には、なお前議をすてず、強いて東下の要請を議論するものもいた。
 わが公はこれを慰諭し、「わが藩の宗家との関係は、列藩と同じようには考えられない。宗家と衰退存亡を共にすることは、藩祖の遺訓である。今この危急の際に、宗家のひとり倒れるのを見るには忍びない。畏くも先朝の叡旨を奉体して、公武一和のため斃れて止むのみである」と言われた。
 家臣は言う言葉がなく、涙を呑んで大息するのみ。ふたたび東下を口にするものはなかった。





 【注】

【一 静寛院宮】 前将軍家茂夫人。和宮。一巻一九頁注六を見よ。

【二 天璋院】 前々将軍家定夫人。

【三 御台所】 将軍慶喜夫人。今出川実順の妹。名は省子(のち美賀子)。

【四 八朔、五節句】 八朔は陰暦八月朔日のこと。この日農家では、新穀を収めそれを祝う。五節句は、正月七日(人日)、三月三日(上巳)、五月五日(端午)、七月七日(七夕)、九月九日(重陽)の五つの式日。
 
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  1. 2012/11/19(月) 15:39:45|
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