いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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三十  毛利敬親父子の赦免     『京都守護職始末2』

 全公卿等を召集     これよりさき、朝廷召すところの諸侯らがようやく上京してきたので、十二月八日、朝廷では公卿、諸侯をことごとく召して、左の勅を下された。たまたまわが公は病んでいたので、家老上田学大輔に代わって参内せしめた。

このたび大樹、政権を奉還し、朝廷一新の折から、いよいよもって天下の人心折合い相付かざるにおいては、追々復古の典も行われがたく、深く宸襟を悩ませられ候。且つ来春は御元服並びに立太后追々御大札を行なわせられ、且つまた先帝御一周〔忌〕に相成り候につき、なおさら人心一和を専要に思し食(め)され候間、年来長防の事件、かれこれ混雑これあり候えども、寛大の御処置あらせられ、大膳父子、末家等入洛を免ぜられ、官位元の如くに復せられ候旨仰せ出だされ候事。





 わが公らを擯斥     この日、宮、堂上および薩摩、土佐、尾張、越前、安芸等の諸藩主およびその藩士らは、小御所に会合して、徳川内府の官位降等、采地削減等を議して、徹宵したという。しかも、わが公と松平定敬朝臣らを擯斥して、その議に列席させず、前日の勅旨にもとることも顧みないのは、まことに奇怪に堪えない次第【注一】である。





 【注】

【一 奇怪に堪えない次第】 慶応三年十二月八日夕刻から開かれた長州処分問題の朝議は、翌九日払暁おわり、辰の刻(午前八時)すぎ、摂政・議奏・武家伝奏・国事御用掛はいずれも退朝した。時に中山忠能・正親町三条実愛・長谷信篤、徳川慶勝・松平慶永・浅野茂勲は宮中に留まり、蟄居を免ぜられた岩倉具視を迎え入れた。ついで大久保も参朝、西郷は兵を率いて宮中の諸門を警備、かねてうちあわせていた熾仁親王・純仁親王・晃親王・大原重徳らの公卿、また山内豊信・島津久光が入朝、ここで摂政・関白・征夷大将軍を廃する王政復古の御沙汰が出た。これは大久保・岩倉らが中山を説得し、文久三年八月十八日政変の故知を踏襲し、摂政・議奏・武家伝奏・国事御用掛の参朝を停止し、薩州藩および二、三の雄藩の手で九門を固め、徳川氏を排除した倒幕派中心の新政府を樹立するクーデター計画を立て、これにもとづいての行動であった。
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  1. 2012/11/19(月) 17:51:58|
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