いがぐり史料館

大きな声にかき消されてしまった本当の歴史、真実への探究にご利用ください。主に幕末史に関する史料を掲載していきたいとおもってます。

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四  西郷、田中両家老の諫止     『京都守護職始末1』

 京を死場所に     事情が右のようであるから、公も今は辞するのに言葉もなく、翻然として奉命と決心されたとき、たまたま家老の西郷近悳(頼母)、田中玄清(土佐)が会津から道を急いで到着し、公に謁して会見した。 そして、このころの情勢から見て、幕府の形勢が非であることを述べ、いまこの至難の局に当るのは、まるで薪を負って火を救おうとするようなもので、おそらく労多くしてその功がないだろうと、言辞凱切、至誠面にあふれて諫めるのであった。
公は、その席にいる江戸家老横山常徳、留守居堀長守(七太夫)等を召して、近悳らのことばを告げ、「これはじつに余の初志であったが、しかし台命しきりに下り、臣子の情誼としてももはや辞することばがない。聞き及べば、はじめ余が再三固辞したのを一身の安全を計るものとするものがあったとやら。そもそも我家には、宗家と衰退存亡をともにすべしという藩祖公の遺訓がある。そのうえ数台隆恩に浴していることを、余不肖といえども一日も報效を忘れたことはない。ただ、不才のため万一の過失から宗家に累を及ぼしはせぬかと、そのことを怖れただけのことである。他の批判で進退を決するようなことはないが、いやしくも安きをむさぼるとあっては、決心するよりほかはあるまい。しかし、このような重任を拝するとなれば、我ら君臣の心が一致しなければその効果はみられないであろう。卿ら、よろしく審議をつくして余の進退のことを考えてほしい」とのことであったので、常徳をはじめ、いずれも公の衷悃に感激し、このうえは義の重きにつくばかりで、他日のことなどとやかく論ずべきときではない、君臣もろともに京師の地を死場所としようと、ついに議は決した。

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  1. 2012/10/25(木) 17:47:26|
  2. 京都守護職始末1
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